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読売ジャイアンツから見た渡辺久信
オープン戦から主力選手の故障、台頭した坂本勇人を除いた若手の伸び悩み等でなかなか満足な試合運びができず、黒星を重ねていった。ペナントレース開幕直後もチームはオープン戦の不調を引きずり、開幕戦となる3月28日のヤクルト戦(神宮球場)から4月2日の中日戦(東京ドーム)まで、球団ワースト記録となる開幕5連敗を喫した。開幕戦で4番打者を務めた李承燁、昨年のクローザーから先発に復帰した上原が共に不調で二軍降格するなど戦力が揃わず開幕ダッシュに失敗した。だが、交流戦あたりから調子を上げはじめ、若手の積極的な起用策が功を奏したのに加え、オガラミ弾と呼ばれる3番・小笠原と4番・ラミレスのアベックホームランが7月8日に阪神に敗れて以降最終戦までの66試合で11試合も記録し、7月9日から最終戦までのホームランが100本と198本のホームランにモノを言わせた強力打線でパ・リーグを制した埼玉西武ライオンズをも凌ぐ破壊力とリーグ2位の78盗塁を記録する機動力野球を武器に後半戦も順調に勝ち星を重ね、7連勝中の9月19日から首位阪神に3連勝、最終的に球団32年ぶりの12連勝を記録する等猛追し、同率で迎えた10月8日の最終直接対決で勝利し単独首位に立ち、10日に接戦の末にセ・リーグ記録となる最大13ゲーム差からの逆転優勝を果たし、1989年 - 1990年以来となるリーグ2連覇を達成した。11.5ゲーム差を逆転し「メークドラマ」と呼ばれた1996年の優勝時以上の大差を逆転したことから、マスコミ等は、「メークレジェンド」と呼んだ。クライマックスシリーズでは、第2ステージで昨年ストレートで敗れた中日と対戦、アドバンテージの1勝を含む3勝1敗1分で勝ち抜けし、2002年以来の日本シリーズへの出場を決めるが、3勝4敗で渡辺久信監督率いる埼玉西武に敗れた。日本シリーズ後上原がFA宣言してメジャーリーグ・ボルティモアオリオールズへ移籍し、トレードで日本ハムからマイケル中村・工藤隆人を獲得したが、その2人との交換トレードで坂本の台頭や足の故障、スキャンダルで出番が激減した二岡・林昌範が移籍した。また清水が金銭トレードで西武へ移籍し第2次長嶋政権時代から主力として支えてきた生え抜き選手が形は違えど相次いでチームを去る形になった。なおヤクルトを自由契約になったディッキー・ゴンザレスを獲得した。(読売ジャイアンツ フレッシュアイペディアより)
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読売ジャイアンツから見た笠原将生
2015年10月、所属選手の福田聡志が野球賭博をしていることが発覚。その後、同じく所属選手の笠原将生と松本竜也の2人も野球賭博を行っていたこともわかった。11月に日本野球機構(NPB)のコミッショナー・熊崎勝彦は、3選手を失格処分とし、それを受けた球団は3選手との契約を解除(事実上の解雇)。また球団に対しては指導、管理が不十分であったとされ1000万円の制裁金が科せられた。NPBコミッショナーによる野球賭博事件による選手の処分は1969年に西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の投手の八百長に端を発した『黒い霧事件』以来のことである。(読売ジャイアンツ フレッシュアイペディアより)
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読売ジャイアンツから見た大村三郎
この年は3月11日に発生した東日本大震災の影響で開幕が3月25日から4月11日に延期。開幕戦は山口県の宇部市野球場で行われ、1952年のフランチャイズ制導入以後、地方球場で初となる巨人主催試合開幕戦となった。また電力の節電要請で4月の東京ドームの使用を自粛、延期になった分を含めて大幅に試合日程が変更となっている。この年から導入された統一球の影響を12球団で一番と言って良い程もろに喰らってしまい、小笠原とラミレスが不調に陥り、打撃陣全体の長打力も2010年までと比べると激減(特に本塁打)する等、打撃陣が不振に陥った。一方で投手陣はルーキーの澤村拓一が4月21日に初勝利を挙げるなど、先発投手陣が引っ張った。その反面、前半は抑え投手が固定出来なかったこと、阿部慎之助が開幕時にケガで離脱したこと、獲得した多くの外国人選手が活躍できなかったこともあり、オールスターまでの前半戦はBクラスに低迷することとなった。後半戦に入り抑え投手に久保裕也が固定できたことなどで8月に7連勝するなど調子を上げていく。終盤は阪神との3位争いとなったが、10月の阪神、中日との6連戦を5勝1敗として、クライマックスシリーズ進出を決め、最終的には首位から3.5ゲーム差の3位で終えている。クライマックスシリーズはヤクルトと対戦するが、先発投手が好投するも継投でつまづき1勝2敗で敗退している。打撃陣では長野が首位打者、藤村大介が盗塁王のタイトルを獲得している。11月11日、ヘッドコーチ人事を巡って清武英利球団代表が渡邉球団会長が不当に介入したとして渡邉球団会長を告発する問題が起きた。清武球団代表はこれを理由に18日付で職を解任されている(詳細は清武の乱参照)。このオフ、FAで横浜DeNAベイスターズから村田修一を、ソフトバンクから杉内俊哉をそれぞれ獲得した。その一方でラミレス、グライシンガー、大村三郎、鶴岡一成らが退団した(ラミレスと鶴岡はDeNAに、大村とグライシンガーはロッテにそれぞれ移籍)。(読売ジャイアンツ フレッシュアイペディアより)
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読売ジャイアンツから見た小坂誠
第1次では同じ時期に現役として活躍した選手が中心であったコーチ陣容を組んだ原監督だったが、第2次では彼らに加えて他球団での豊富な経験のある人材を求めた。ヘッドコーチに近藤昭仁、守備走塁コーチに篠塚和典が復帰。投手コーチに尾花高夫を、また1994年から2002年まで打撃コーチを務め、2003年より広島に戻っていた打撃コーチ・内田順三が復帰した。選手補強も積極的に行った。投手陣ではオリックスを自由契約となったジェレミー・パウエル、FA宣言した豊田清(西武)、野口茂樹(中日)を獲得した。野手ではロッテの李承燁を獲得。金銭トレードで過去ゴールデングラブ賞を4度受賞した小坂誠(ロッテ)を獲得した。一方で前年シーズン途中に既に構想から外れていた清原、ローズを自由契約で、豊田の人的補償で江藤を放出した。(読売ジャイアンツ フレッシュアイペディアより)
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読売ジャイアンツから見た川口和久
近鉄の阿波野秀幸を香田勲男との交換トレードで獲得。広島の川口和久、ヤクルトの広沢克己をFAで獲得。また同じヤクルトを自由契約となったジャック・ハウエル、ミネソタ・ツインズのシェーン・マックを獲得し30億円補強と呼ばれものの、阿波野は未勝利、川口は負けが先行でローテーションを守れず、広澤はチャンスで打てずまた6年ぶりの本格的な外野守備、また初の左翼手へのコンバートが慣れず守備でも足を引っ張ってしまった。斎藤は18勝で最多勝・槙原は11勝をあげローテーションを守ったが前年MVPの桑田が序盤戦でプレイ中に大怪我をしてしまい、翌シーズンも全休してしまった。抑え投手も木田・石毛が連日痛打を浴びて敗戦。投打に渡り歯車が噛み合わず優勝争いからどんどん後退していたが、新人の河原純一、高村良嘉や若手の西山一宇、後藤孝志、杉山直輝、吉岡佑弐など二軍からはい上がった生え抜きを使い出してからチームの歯車がかみ合い連勝を重ね最終的には貯金14個作ったが、優勝したヤクルトにはことごとく負けてしまい、結局優勝争いに加わることができず、優勝したヤクルトと10ゲーム差のシーズン3位で終わった。また、同年の最終戦で原が現役を引退した。(読売ジャイアンツ フレッシュアイペディアより)