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  • クッシー

    クッシーから見た御神渡り諏訪湖

    また、湖が凍ると湖面が割れる現象があり、クッシーの仕業ではないかと地元では言われている。これは、「御神渡り」(おみわたり)現象と言われる。同様の現象は諏訪湖でも観察されており、神が通った跡と説明されている。湖面にできた氷が収縮と膨張を繰り返すと、湖面に氷の山ができあがり、一見するとヘビのような形になって湖面を縦断する。屈斜路湖でも、砂湯から10kmに及ぶ長い「御神渡り」が観測されたこともある。アイヌの湖のヘビの伝説もこれから連想されたのではという見方もある。クッシー フレッシュアイペディアより)

  • 釜口水門

    釜口水門から見た諏訪湖諏訪湖

    釜口水門(かまぐちすいもん)は、長野県岡谷市にあり、諏訪湖から天竜川が流れ出る地点に位置する水門。天竜川の起点である。釜口水門 フレッシュアイペディアより)

  • 奈川渡ダム

    奈川渡ダムから見た諏訪湖諏訪湖

    1969年(昭和44年)11月、3ダム完成を祝ってしゅん工式が催された。完成した奈川渡ダムは高さが155メートル、同じアーチ式コンクリートダムとして富山県・黒部川上流の黒部渓谷にある黒部ダム(関西電力)の186メートルに次ぐ日本第2位の高さを誇った。その後、奈川渡ダムよりもわずか1メートル高い温井ダムが完成し、現在では日本で3番目に高いアーチ式コンクリートダムである。水殿ダム・稲核ダムもまた奈川渡ダムと同様にアーチダムであり、同じ河川にアーチダムが3箇所も存在するのは犀川のみ。ダム湖である梓湖(あずさこ)は総貯水容量が1億2,300万立方メートルであり、長野県最大の湖である諏訪湖の2杯分の水が貯えられる。これは信濃川水系のダムの中で最大である。この水は膨大な量の電気を発生させるだけにとどまらず、下流に広がる農地4,000ヘクタールを潤す農業用水としても利用されている。奈川渡ダム フレッシュアイペディアより)

  • 有賀峠

    有賀峠から見た諏訪湖諏訪湖

    諏訪市有賀から上伊那郡辰野町へ抜ける最短経路である。諏訪湖の南にそびえる糸魚川静岡構造線の断層崖上の鞍部にあり、長野県道50号諏訪辰野線が峠を通過している。有賀峠 フレッシュアイペディアより)

  • オオユスリカ

    オオユスリカから見た諏訪湖諏訪湖

    オオユスリカの分類は不確かな部分が多い。2002年、諏訪湖の個体群に基づく研究からChironomus plumosusと同定されていたものが新種であることが判明し、Chironomus suwaiとして記載された。しかし、両種の分布域の境界はよくわかっていない。オオユスリカ フレッシュアイペディアより)

  • ズームイン信州

    ズームイン信州から見た諏訪湖諏訪湖

    そして1970年にニュースフィルムの自社製作分がカラー化され、初めてカラーテレビ中継車が導入されると2.のスタイルの企画も放送されるようになった。2.スタイルで代表的なのは、諏訪湖の汚染の深刻化を訴える連続企画。放送されていた当時、諏訪湖は工場からの排水で富栄養化し、魚が住めない死の湖と化していた。そういう現状を訴える企画を毎週放送していったが、これがきっかけとなって諏訪湖周辺の市町(岡谷市・諏訪市・諏訪郡下諏訪町)では下水道整備が進み、今では長野県一の普及率を誇るようになった。ちなみに下水道普及以後の諏訪湖環境浄化キャンペーンは、放送当時唯一のライバル局だった長野放送が行い、現在でも継続中。ズームイン信州 フレッシュアイペディアより)

  • ホタルエビ

    ホタルエビから見た諏訪湖諏訪湖

    はっきりとした記録として残っている例は、大正3年、長野県の諏訪湖での事例である。一般に海産動物には発光するものの例が少なくないが、淡水では極めて少なく、当時は『淡水でホタル以外に発光するものが発見された』として驚きをもって迎えられたという。この例は東京慈恵会医科大学の矢崎芳夫によって詳しく研究され、発光細菌に感染したヌマエビであり、エビ自身には発光能力がないことが確認されている。大正10年には千葉県でのホタルエビについても同氏がやはりヌマエビであることを確認している。ホタルエビ フレッシュアイペディアより)

  • 信濃奇勝録

    信濃奇勝録から見た諏訪湖諏訪湖

    須波乃海、諏方上下神社、御頭祭、御射山祭、御柱祭、神宝並級笠行騰、七木七石、七不思議、下諏方祭、縁起絵、斎瓮、石羊、山神の猧子、徳本釜信濃奇勝録 フレッシュアイペディアより)

  • 橋本福松

    橋本福松から見た諏訪湖諏訪湖

    長野県上伊那郡西春近村(現伊那市)生まれ。旧松本藩士の橋本房太の養子となる。上京して正則英語学校卒業。1902年諏訪郡玉川小学校の教員となり、校長の島木赤彦し師事する。のち諏訪高等女学校等で教鞭をとりながら、諏訪湖の研究に打ち込み、1906年に湖底の「曽根遺跡」を発見、1910年には「諏訪地図」を完成させる。橋本福松 フレッシュアイペディアより)

  • 大血川橋

    大血川橋から見た諏訪湖諏訪湖

    もう一つは自決ではなく、桔梗らは無事に大陽寺にたどり着き、そこで平和に暮らしたという説で、近傍にある川がまるで大蛇(おろち)のように見えたたことから「おろち川」と呼ばれ、そのおろち川が訛って大血川となったというものである。なお、大血川には大蛇に関わる畠山重忠の出生伝説があり大陽寺で寺の大師と諏訪湖に棲む大蛇の化身である女性の間に生まれた嬰児を不浄に思い、近くの大血川に流した伝承が残されている。川に流された嬰児は現在の深谷市の畠山に流れ着き、そこで畠山庄司重能に拾われ、畠山重忠として育てられたと言われている。大血川橋 フレッシュアイペディアより)

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