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丹生ダムから見た諏訪湖
これに対し下流受益地の京都府・京都市は賛同の趣旨を表明。一方高時川流域住民の間からは「無責任」とする批判が高まった。折から長野県や鹿児島県で豪雨災害(平成18年7月豪雨)が発生し、脱ダムの舞台・諏訪湖周辺で水害が起こった時期でもあり今後の動向が注目されていた。知事は当初ダム計画の見直しについて変更はないと当選直後は表明していたが、間も無く県議会における所信表明で、『自らの治水政策の瑕疵により、一人でも死者が出た場合は知事を辞職する』と表明して治水に対する取り組みを重視した。その後凍結を検討するダム下流域の自治体や住民との話し合いや、平成18年7月豪雨による長野県の被害もあってか、多少柔軟姿勢に転じ、『他に有効な治水対策が無い場合はダム建設もあり得る』として地元との対話を重視する姿勢を見せた。(丹生ダム フレッシュアイペディアより)
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鹿沢ダムから見た諏訪湖
湖ではワカサギが多く生息しており、群馬県吾妻漁業協同組合では田代湖のワカサギを利用した採卵事業を行っている。これは管理者である東京電力の許可を得て行っているもので、毎年定置網でワカサギを収穫し、採卵を行う。ワカサギの採卵事業は諏訪湖や網走での事業が有名だが、田代湖も有名である。この三地点で採取されたワカサギの卵は全国各地のワカサギ釣りのスポットや漁業協同組合に流通され、養殖されている。冬の風物詩であるワカサギ釣りを陰で支える存在でもある。このほか田代湖ではダム完成直後の1935年(昭和10年)に試験的にブラックバスが放流された湖でもある。(鹿沢ダム フレッシュアイペディアより)
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多目的ダムから見た諏訪湖
戦前におけるダム技術・制度論の第一人者・物部長穂の提唱による「河水統制事業」案は1937年(昭和12年)に内務省によって予算化され、本格的な施工が開始された。奥入瀬川・浅瀬石川・鬼怒川・江戸川・相模川・錦川・小丸川・諏訪湖の7河川1湖沼が対象水系に指定され、浅瀬石川では日本で初めて計画された多目的ダム・沖浦ダムが1935年(昭和10年)より、錦川では1938年(昭和13年)に向道ダムが着工され、都道府県単位での多目的ダム建設が開始された。1941年(昭和15年)には向道ダムが多目的ダムとしては初めて供用され、その後相模ダム(相模川)や旭川ダム(旭川)、松尾ダム(小丸川)の建設が開始されたが戦争の激化で事業は全て中断を余儀なくされた。(多目的ダム フレッシュアイペディアより)