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  • 橘高淳

    橘高淳から見た谷繁元信谷繁元信

    5回裏中日の攻撃で一死一塁。打者・谷繁元信の打球は捕手前のゴロとなった。西武の野田浩輔捕手がこれを処理し直ちに谷繁に触球を試みた。球審の橘高は野田が打者走者の谷繁に触球したと判定し、アウトを宣告した。続いて野田は二塁へ送球。橘高のアウトの宣告が聞こえていなかったのか、二塁塁審の杉永政信は一塁走者のオマール・リナレスにフォースアウトを宣告した。この判定を受け、中島裕之遊撃手は一塁に送球。西武側は併殺したと判断し、ベンチに引き上げた。すると中日の落合博満監督は審判団に、「打者走者に対する触球によってアウトが宣告されたのなら、二塁はタッグプレーになる。一塁走者はアウトではない」と主張した。確かに橘高が打者走者のアウトを先に宣告しているので、一塁走者のフォースの状態は解除されているから、リナレスはタッグされなければアウトにならない。そのため、審判団は協議の上、杉永二塁塁審のフォースアウトの判定を取り消し、二死二塁からの再開を決めた。すると西武の伊東勤監督がこれに対して「一度審判員がアウトと言ったのだから…」とこの決定に対して異議を唱える。橘高は「野田選手のプレーについて伊東監督に説明していますので、しばらくお待ちください」という旨の場内アナウンスを行う。この間、約49分にわたり試合が中断、最後はこの試合の責任審判であった友寄正人と、橘高が場内アナウンスで謝罪するという異例の事態となった。この件で審判団はコミッショナーから厳重注意を受けた。橘高淳 フレッシュアイペディアより)

  • 里崎智也

    里崎智也から見た谷繁元信谷繁元信

    内角を執拗に突く強気なリードを持ち味とする。遠投120メートルと地肩は強く、送球はシュート回転することが多いものの、谷繁元信の下半身の動きを手本として上達したという捕球してから送球するまでの動作が非常に素早く、盗塁阻止率が高い。里崎智也 フレッシュアイペディアより)

  • 英智

    英智から見た谷繁元信谷繁元信

    は李炳圭の加入でシーズン序盤は代打・代走・守備固めでの起用が多かったが、李の低迷や福留の戦線離脱、打撃好調ということもあり、中盤以降はスタメンでの起用が増加。4月19日の対阪神戦では代打逆転適時打を放ち、同じく代打で適時打を放った立浪と共にお立ち台に上がる。カウント2-1と追い込まれてから打ったことに「みんなと一緒でダメだと…。半分ダメっぽいと思いながらも、最後まで諦めないのが僕のベースボールスタイルなんで。かじりついて(食らいついて)いきました」と英智節を披露。そして、立浪と一緒のお立ち台に対して、「今日のお立ち台の写真は後からパネルにしてもらいたい。僕が小学校の頃、ナゴヤ球場で1000円しかお金無いのに1000円のテレホンカードを買ったのが立浪さんなんです。そういう方とお立ち台に立てて、野球やめた時にいい思い出になっていると思います」と、喜びを語っている。4月24日の対広島戦ではサヨナラ犠牲フライを放ったが、これは右翼手天谷宗一郎が一度捕球しながら落としたもので、エラーも記録されている。この日のお立ち台ではインタビュアーでは「皆が英智選手に期待してましたよ!」という問いに対して「僕はその前の谷繁(元信)さんの打席に期待していたので、僕はネクストで、バントが上手いこと決められなくて流れが悪いなと思って、ベルトの穴を締め直して、気合いを入れておきました」と発言。さらに「このお立ち台に立つことで、何を言うか決めていたというのはありませんか?」という問いに対しては「そんな余裕は…終わってからすぐだったので、でも嫁が男は無口な方がいいよって言ってたので、あまり喋らないようにします」と答えた。なおこの試合は、浅尾拓也がプロ初勝利を記録した試合である。6月8日、対西武戦で、9回表に中島裕之の2点本塁打で逆転された後の裏、2死一・二塁の打席で初球を狙いライト線への長打コースで2人のランナーが生還。サヨナラ勝ちでチームは3連敗から脱出することができた。お立ち台で「カブレラさん多分自打球で動けなかったんで、丁度間が浅かったんですけど、抜けて行きました」と発言して笑いを誘った後、「(この日のここまでの)3打席感じよくなかったので、英智のベースボールスタイルである、初球から思い切っていくっていう…」と答えた。ちなみに、ここで打ったヒットは逆転サヨナラ三塁打であり、一塁ランナーの森野将彦がホームに還る前に三塁に到達している。7月14日、対ヤクルト戦で、同点で迎えた7回裏1死二・三塁で三塁走者は英智。ヤクルト内野陣は補殺を狙った前進守備を敷き、打者タイロン・ウッズは注文通りの二ゴロ。にもかかわらず、英智は二塁手の田中浩康が本塁に投げるのを諦める程の判断の早さで本塁に突入し、勝ち越しのホームインとなった。試合後、英智は「7割は経験、3割はギャンブル。代走要員だった頃の経験が生きている」とコメントしている。8月19日の試合後(この日、ナゴヤドームで一軍戦で初めての本塁打を放つ)、「ボクには48のベースボールスタイルがある」と語っている。この数は相撲の決まり手(俗に言う「四十八手」)や漫画『キン肉マン』の「48の殺人技」と同じ数である(ただし、このコメントはヒーローインタビュー時ではなく、その後のベンチ裏で記者に答えたものである)。その後もヒーローインタビューなどでは様々な「英智のベースボールスタイル」の種類を語っている。しかし、9月26日の対巨人戦で肉離れを起こし、残りのシーズンを棒に振ってしまう(落合はその後のメンバーのやりくりについて「クラ(英智の愛称)の離脱が一番痛かった」と語っている)。シーズンオフに背番号が57から24へ変更されることが発表された。これは落合が「57ではケガが多いから」という理由からで(彦野利勝の項も参照)、新番号で心機一転を図って欲しいという願いがこめられている。また、5と7の付いていた2005年と2007年はケガをしている。英智 フレッシュアイペディアより)

  • 12月21日

    12月21日から見た谷繁元信谷繁元信

    1970年 - 谷繁元信、プロ野球選手12月21日 フレッシュアイペディアより)

  • 下関球場

    下関球場から見た谷繁元信谷繁元信

    1989年3月4日に初めて開催されたプロ野球・横浜大洋ホエールズ対読売ジャイアンツのオープン戦は、前日まで降り続いた雨の影響でグラウンドが一部ぬかるむなど開催が危ぶまれた。しかしフィールドに砂と土を入れ、更に灯油を散布して点火し水分を蒸発させるなどした結果、何とか開催可能なコンディションに回復することができ、無事に試合は行われた。なお、この試合では当時大洋の新人だった谷繁元信が巨人・斎藤雅樹からプロ入り初の本塁打を通算2打席目にして放っている。谷繁は後に「下関で、リーグを代表する投手の斎藤さんから本塁打を打てたお陰で、プロでやっていける自信がついた」と振り返っている(ちなみに谷繁の公式戦初本塁打は同年5月27日の柏崎市佐藤池野球場でのヤクルト戦で尾花高夫から)。下関球場 フレッシュアイペディアより)

  • クレイトン・ハミルトン

    クレイトン・ハミルトンから見た谷繁元信谷繁元信

    初奪三振:同上、3回表に谷繁元信からクレイトン・ハミルトン フレッシュアイペディアより)

  • 27

    27から見た谷繁元信谷繁元信

    日本のプロ野球の背番号27は捕手が付ける事が多い(実例:森昌彦、大矢明彦、伊東勤、古田敦也、谷繁元信など)。27 フレッシュアイペディアより)

  • 2007年の野球

    2007年の野球から見た谷繁元信谷繁元信

    全日本野球会議が、第24回アジア野球選手権大会兼北京オリンピック野球競技アジア地区予選の第1次日本代表候補選手60人を発表。社会人、大学生からの候補選出はなく、すべてプロ選手からの選出となった。候補となったのは以下の60人。投手(29人)?ダルビッシュ有、武田久、八木智哉、MICHEAL(以上日本ハム)、西口文也、小野寺力、涌井秀章(以上西武)、馬原孝浩、新垣渚、和田毅、杉内俊哉(以上ソフトバンク)、薮田安彦、渡辺俊介、小林宏之(以上ロッテ)、田中将大、青山浩二(以上楽天)、川上憲伸、岡本真也、岩瀬仁紀(以上中日)、藤川球児(阪神)、林昌範、上原浩治、高橋尚成、内海哲也、金刃憲人(以上巨人)、黒田博樹、大竹寛(以上広島)、那須野巧、木塚敦志(以上横浜)。捕手(5人)?里崎智也(ロッテ)、谷繁元信(中日)、矢野燿大(阪神)、阿部慎之助(読売)、相川亮二(横浜)。内野手(15人)?中島裕之(西武)、松中信彦(ソフトバンク)、TSUYOSHI、今江敏晃(以上ロッテ)、北川博敏(オリックス)、荒木雅博、井端弘和(以上中日)、鳥谷敬、今岡誠(以上阪神)、宮本慎也(ヤクルト)、小笠原道大、二岡智宏(以上巨人)、梵英心、新井貴浩(以上広島)、村田修一(横浜)。外野手(11人)?稲葉篤紀(日本ハム)、和田一浩(西武)、多村仁、大村直之(以上ソフトバンク)、村松有人(オリックス)、礒部公一、鉄平(以上楽天)、福留孝介(中日)、青木宣親(ヤクルト)、谷佳知、高橋由伸(以上巨人)。2007年の野球 フレッシュアイペディアより)

  • 2010年の日本シリーズ

    2010年の日本シリーズから見た谷繁元信谷繁元信

    捕手:00前田章宏、27谷繁元信、52小田幸平、65小山桂司2010年の日本シリーズ フレッシュアイペディアより)

  • 日本人選手のメジャーリーグ挑戦

    日本人選手のメジャーリーグ挑戦から見た谷繁元信谷繁元信

    2001年オフに谷繁元信(横浜ベイスターズ)が捕手として初めてメジャーへの移籍を希望。シアトル・マリナーズの日本人オーナーが「イチローに続くスター選手」として獲得の意志を示したが契約には至らず、中日ドラゴンズと契約した。日本人選手のメジャーリーグ挑戦 フレッシュアイペディアより)

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