-
-
-
内田俊雄から見た赤星憲広
1977年、亜細亜大野球部コーチに就任後、翌1978年監督に就任。以降2006年までの26年間の長きに渡り同大学野球部を指導。在任中、東都大学野球リーグで優勝13回、全日本大学野球選手権大会で3度、明治神宮野球大会で2度優勝に導いた。この間、宮本賢治、高津臣吾、小池秀郎、川尻哲郎、井端弘和、赤星憲広、木佐貫洋、永川勝浩、松田宣浩ら、多くのプロ野球界で活躍する選手を輩出、また東都大学野球連盟のレベルアップに多大な貢献をした。2004年春季より監督を当時コーチであった生田勉に譲り、自身は総監督に就任した。しかし、同年秋季リーグ終了後に部員の不祥事が発覚。大きな批判も浴び、半年間の対外試合禁止処分を受け、2005年春季リーグ出場を辞退。それに伴い二部落ちとなったが、すぐに一部昇格を果たした。(内田俊雄 フレッシュアイペディアより)
スポンサーサイト