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赤田将吾から見た右翼手
2010年のオープン戦では打率.353と結果を残し、二番・右翼手として開幕戦に先発出場を果たしたが、開幕直後は打率がなかなか伸びなかった。4月4日の対ロッテ戦で6年ぶりとなる左打席での本塁打を小野晋吾から打った(2005年から2008年に記録した本塁打はすべて右打席で記録したものである)。4月10日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で自身初の2打席連続本塁打、4月20日の北海道日本ハムファイターズ戦で移籍後初のサヨナラ安打、5月18日の対広島東洋カープ戦では左右打席本塁打を記録するが不調で6月10日に登録抹消。以後は一軍と二軍を行き来した。この年は79試合の出場で打率.217に終わった。(赤田将吾 フレッシュアイペディアより)
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赤田将吾から見た1998年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)
1998年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから2位指名を受けて入団。同期に松坂大輔らと共に第3回AAAアジア野球選手権大会日本代表選出され中村順司監督の期待に応え優勝に貢献。(赤田将吾 フレッシュアイペディアより)
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赤田将吾から見た2008年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ
は新加入のヒラム・ボカチカや松坂健太にポジションを奪われ、春先はベンチを暖めることが多かった。4月以降は両者の不振によって出場機会が増え、4月25日のオリックス・バファローズ戦では自身初のサヨナラ満塁本塁打を放つなど徐々に調子を上げていた。ところが、5月1日のソフトバンク戦で大飛球を追ってフェンスに激突、左足首関節捻挫で長期離脱を余儀なくされてしまう。8月に入ってようやく1軍に復帰、9月から10月にかけて打率3割以上を残した。クライマックスシリーズでは12打数6安打、1本塁打1、3打点を記録。日本シリーズでは後藤武敏との併用ながら11打数3安打という数字を残し、球団史上初のアジアシリーズ制覇を経験した。(赤田将吾 フレッシュアイペディアより)