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    輪島大士から見た大受久晃

    立合いを称賛されることは少なかったが、横綱昇進直後の記事では概して「ゆとりある幅の広い立ち合いをしており、立ち合いがずれても抜群の足腰のおかげで甘さにつながらず、相手を見ながら前さばきで押さえ込もうとする」と評され、この立合いに加えて「攻める踏み込みが自在に加われば、これは完璧である」と言われていた。その頃は「双葉山の立合いに最も近付き得るのは輪島」とまで期待された。一方で小兵であったため変化をすることも多かった。ほとんどの場合は左に飛んでいたが、良く見て当たる瞬間に変わるので失敗率が低かった。押し相撲の力士であったが突進型でなかった大受も輪島の変化はよく喰らった。ただ、輪島の変化は決まり手に直結しない場合が多く、逃げただけの印象を与えることがままあった。輪島大士 フレッシュアイペディアより)

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    輪島大士から見た双津竜順一

    1978年に入ると、輪島は3月場所の右膝靭帯の怪我や、年齢から来る体力、とりわけ持久力の衰えなどから、北の湖の後塵を拝することが多くなる。この年の7月場所14日目の北の湖との対決では、左四つ、輪島は左下手、北の湖は右上手と、ともに十分な廻しを取り合ういつもの体勢になった。輪島は北の湖の右上手投げを残すと、右からおっつけて、左下手で脅かす、両力士の攻防が決定打に欠ける中、北の湖は過去、慌てた攻めで輪島の左下手投げの餌食になった反省を踏まえ、持久戦に持ち込み、水入りとなった。控えに下りた両者だが、北の湖が普段と変わらぬ表情だったのに対し、輪島は肩で息をするなど、明らかに疲労感がにじみ出ていた。再開後は、北の湖が積極的に攻め、右上手から強引に振り回したあと、左下手を取り、がっぷり左四つの体勢から持久力の切れた輪島を寄り切った。この年ライバル北の湖は5連覇を達成した。しかし輪島は、この頃から右四つ左上手の取り口に進境を示し、千代の富士・栃光・栃赤城・双津竜など右四つ得意の力士には、むしろ自ら右四つに行き制する取り口が増えた。そもそも大相撲入門当初、軽量のハンデと右上手の力強さを考慮した形で左四つに転向したのであって、学生時代以前は右四つであった。そのことから本来の型に戻ったとも取れる。1979 - 1980年の晩年は、体力の衰えをこのいぶし銀の上手さと気力とで補い、前半戦は上位陣の中でも最も安定した相撲ぶりを見せることが多かった。若手が次々と台頭する中、1979年7月、1980年11月と二度の優勝を重ねたことは立派であると言えよう。輪島の部屋と大学の後輩である荒勢が北の湖にほとんど勝てず、輪島の援護射撃ができなかったことや、輪島が苦手にしていた豊山も北の湖には全く勝てないこと、若乃花や三重ノ海の横綱昇進などでライバルが増えたことなど、輪島に不運な一面が多々あった点も否めなかった。輪島大士 フレッシュアイペディアより)

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    輪島大士から見た渕正信

    「お守り」として馬場が付いたタッグでのデビュー戦や、移動の際に一般レスラーのようにバスでなく新幹線を使うなどの特別待遇があった。このためマスコミは「他の選手が反発し、レスラー仲間がほとんどいない」などと悪意的に報じ、巡業中の輪島の様子を心配する記事が週刊プロレスにも掲載されている。しかし仲田龍によれば、輪島自身が馬場や会社から特別待遇を受けていることにあまり快く思わない他の選手のことを気にし、若手レスラーに食事を奢ったり、随分年下のレスラーや社員にも敬語を使い、年下である渕正信らのアドバイスを熱心に聞くなど、周囲に大変気を遣っていており、練習もきちんと行っていたとのことであり、「全く仲間がいなかった」「練習をしなかった」という訳ではなかった。輪島大士 フレッシュアイペディアより)

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    輪島大士から見た輪島功一

    この番組には輪島功一も準レギュラーで出演していたが、石橋貴明は輪島功一の方は「功一」と呼び、輪島大士の方を「ワジー」と呼んでいた。本来功一とは又従兄弟であり、これは輪島直幸を含む3人が従兄弟であると横綱現役の頃から言われていたという事実と矛盾するが、芸能活動を始めた時期が近かったために口裏を合わせて従兄弟にしたとのことである。功一とは従来より友人であったため「コウちゃん」「ヒロシ」と互いに呼びあっている。なお、木梨憲武と輪島の共演はほとんどなかった。後に輪島が回想録等で話したところによると、当初は元横綱のプライドがあり出演を固辞していたが、貴明らが輪島の現役時代のファンであると口説かれ出演を応諾したという。輪島大士 フレッシュアイペディアより)

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    輪島大士から見た五木ひろし

    作詞:たかたかし 作曲:松山かずお(五木ひろしのペンネーム)輪島大士 フレッシュアイペディアより)

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    輪島大士から見たやくみつる

    横綱土俵入りについては、脇が空いて前屈みの姿勢でせり上がるなどの批判もあったが、徐々に落ち着いた土俵入りとなり、テンポの早い北の湖とは好対照であった。後年になって輪島以降、下段の構えで掌が真下を向く傾向が顕著になったとやくみつるが考察している。輪島大士 フレッシュアイペディアより)

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    輪島大士から見た前田日明

    レスラーとしての評価は決して高くなかったが、同じ大相撲出身の天龍源一郎との絡みは非常に激しいものだった。自らのバックボーンへのリスペクトを忘れない天龍は、その世界で最高峰を極めた輪島に対し「強くあってほしい」と願い、それが輪島への厳しい攻めにつながった。煮え切らない試合を続けていた輪島もそれに触発され、天龍が放つ容赦のない蹴り技を真っ向から受けるなど迫力ある対戦となった。相撲では格下だった天龍(天龍の生涯最高番付は前頭筆頭)が、格上の元横綱を激しく蹴りまくるという展開は、プロレスを八百長視していた層にも少なからぬ衝撃を与えたと言える。当時新日本にUターンしていた前田日明はこの2人の試合を見て「これはヤバイ。あんな事をやられたら、自分らの存在意義がなくなってしまう」と危機感を抱いていたという。輪島大士 フレッシュアイペディアより)

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    輪島大士から見た田上明

    そういった経験不足の状態でありながら、馬場とタッグを組んで、アメリカにてデビュー戦を行う。相撲技の「喉輪」と「かち上げ」を合体させて開発したという、オリジナルの必殺技ゴールデン・アームボンバー(喉輪落とし)で快勝したが、プロレスとしての見せ場を作る技術は低かった。なおゴールデン・アームボンバーは輪島引退後の全日マットで田上明が復活させ、後に高角度喉輪落とし(チョークスラム)へと発展していく。他に片足抱え式のバックドロップも得意としていた。輪島大士 フレッシュアイペディアより)

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    輪島大士から見たとんねるず

    「好みの女性のタイプは?」の問いに、真顔で「金髪!」と叫ぶ姿が視聴者の笑いを誘った。この番組で、輪島お見合い企画を開催し、現在の夫人と再婚。また、とんねるずの石橋貴明からワジーと言うあだ名で呼ばれ出し、ワジーと言う愛称が、現役時代を知らない世代にも広く定着する。輪島大士 フレッシュアイペディアより)

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    輪島大士から見たデーモン閣下

    2009年1月18日、大相撲初場所8日目のNHK大相撲中継にデーモン小暮閣下と共に出演し、解説を務めた。輪島が本場所の土俵を観戦することは年寄花籠を名乗っていた当時の1985年11月場所以来、23年2ヶ月ぶりのことであった。不祥事によって廃業した大相撲関係者がNHKの大相撲中継に出演することはほとんどないため、異例の出演となった。輪島大士 フレッシュアイペディアより)

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