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石川県から見た近畿地方
縄文時代の遺跡では草創・早期の遺跡は少なく、中期と晩期にピークがある。能登町の真脇遺跡は縄文時代の前期から晩期まで約4,000年続く長期定住遺跡である。縄文時代後期から晩期の遺跡としては金沢市のチカモリ遺跡、野々市市の御経塚遺跡 がある。1980年(昭和55年)チカモリ遺跡からクリの巨木を縦に半分に割り円形に並べた環状木柱列が見つかった。環状木柱列はその後真脇遺跡でも発見されている。環状木柱列の用途・機能は「儀礼の場」や「特殊な建物」など様々な考えがあり不明である。羽咋市の吉崎・次場遺跡は北陸地方でも規模が大きい弥生時代の遺跡で近畿、東北、山陰などとの交流が認められる。(石川県 フレッシュアイペディアより)
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福澤桃介から見た近畿地方
1919年11月、木曽電気興業と大阪の京阪電気鉄道の提携により、大阪送電株式会社が設立された。社長は福澤桃介で、第一次世界大戦による好景気で電力不足に陥る関西地方へ木曽川で開発する電力を送電することを目的とした。翌1920年(大正9年)には、同じく関西方面への送電を目的とする山本条太郎率いる日本水力との合併案をまとめ、10月に大阪送電・木曽電気興業・日本水力の3社の合併を決定。そして翌1921年(大正10年)2月、3社の合併が成立し資本金1億円の新会社大同電力株式会社が発足するに至った。初代社長は福澤桃介である。一方、木曽電気興業の母体である名古屋電灯は、複数の会社と合併して1921年10月に関西電気株式会社(翌年東邦電力に改称)となるが、同年12月、1914年以来務めてきた社長を退いている。(福澤桃介 フレッシュアイペディアより)
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毎日放送から見た近畿地方
第二次世界大戦終結から間もない1947年(昭和22年)、GHQが「放送基本法」と「電波三法」(放送法・電波法・電波監理委員会設置法)の立法措置を指令し、1950年(昭和25年)6月に施行された。これを契機に「民間放送」の設立が日本各地で相次ぎ、施行前の1950年4月21日、民間放送会社16社に予備免許が下りた。そのうちの一つ、新日本放送株式会社(しんにっぽんほうそう、略称 NJB、英称 New Japan Broadcasting System,Inc.)は、関西政・財界の支援の下、毎日新聞社と京阪神急行電鉄(現:阪急阪神ホールディングス)と日本電気(NEC)を中心に設立された。実際に創立の中心となったのは、毎日新聞社を依願退職した高橋信三であった。(毎日放送 フレッシュアイペディアより)