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東京都交通局5000形電車 (鉄道)から見た近畿車輛
車体側面の形状は、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)丸ノ内線用の500形に準じていた。台車の枕バネにはウイング金属バネ(軸箱支持装置は近畿車輛製シュリーレン式)を使用したが、最終新製車は空気バネとなった。主電動機出力はやや大きめだが歯車比が6.53と低速域重視であり、定格速度が低い上に弱め界磁制御も中速域までであった。さらにWN形駆動装置の影響で高速域では床が振動し始めるなど、高速性能が悪く、最高速度は100km/h程度が限度だった。そのため、京急線内での急行運転時はほとんど惰性走行することなくマスコンハンドルを入れたままで走行していた。(東京都交通局5000形電車 (鉄道) フレッシュアイペディアより)
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近鉄12000系電車から見た近畿車輛
1967年12月に近畿車輛で2両編成10本が製造された。その後の増備は12200系に移行したため、1ロット20両の製造で終了した。1967年12月20日ダイヤ変更から営業運転を開始した。(近鉄12000系電車 フレッシュアイペディアより)
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近鉄6000系電車から見た近畿車輛
駆動装置はWNドライブで、主電動機は三菱電機MB-3082-A (135kW) を装備する。これは6000系以来採用されているものである。制御装置はバーニア制御のVMC形から日立製作所製のNMC型またはMMC型抵抗制御(モーター8台制御)でM車に搭載した。台車はともに近畿車輛KD-61で、シュリーレン式空気ばね台車である。パンタグラフはM車に2台した。ブレーキ(制動)方式はHSC-D発電制動付き電磁直通ブレーキである。空気圧縮機は6041FまではM車に、6043F以降はMc車に装備し、電動発電機はMc車に装備した。(近鉄6000系電車 フレッシュアイペディアより)
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西鉄1000形電車 (鉄道)から見た近畿車輛
大牟田線(現在の天神大牟田線)の特急電車用として1957年より1960年までに、日本車輌製造および近畿車輛で4両編成6本の24両が製造された。番号は年次と製造会社別で100台単位で分けられ、日本車輌製の1000番台および1100番台と、近畿車輛製の1200番台の3種類(厳密に言えば細部の違いで4種類)があるが、形式はすべて1000形となっている。(西鉄1000形電車 (鉄道) フレッシュアイペディアより)
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東京都交通局6300形電車から見た近畿車輛
製造メーカーは6301 - 6329編成および6334 - 6337編成が川崎重工業、6330 - 6333編成が近畿車輛(OEMによる委託生産)である。なお、近畿車輛製も製造所銘板表記は「川崎重工」(車内は「Kawasaki」)となっているが、運転室に「近畿車輛」の銘板がある。3次車の川崎重工のプレートはエンブレムが年号は西暦、ローマ字で「Kawasaki」と表記(埼玉高速鉄道2000系の色違い)されている。(東京都交通局6300形電車 フレッシュアイペディアより)
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小田急3000形電車 (初代)から見た近畿車輛
基本構想の策定を行う研究会は、1954年11月から1955年1月までに合計8回行われた。1955年1月25日には基本構想が策定されたが、この時点では小田急の最長編成は17m車4両編成であったことから、全長70mの5両連接車という内容であった。1955年1月16日には共同設計者として日本車輌製造・川崎車輛(当時)・近畿車輛・東洋電機製造・東京芝浦電気(当時)・三菱電機が参画し、研究所の指導の下に具体的な設計に入った。小田急では創業当時から電装品は三菱電機、台車は住友金属工業の製品を採用しており、特に三菱グループとは主力取引銀行としての関係もあったが、SE車の設計参画メーカーの決定に際しては純粋に技術的見地から決定され、どうしても優劣がつけがたく決定できない場合に限って、過去の小田急との取引を考慮して決定した。(小田急3000形電車 (初代) フレッシュアイペディアより)
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