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  • 西鉄1300形電車

    西鉄1300形電車から見た近畿車輛近畿車輛

    メーカーは1301F(F=編成)が近畿車輛、1305Fが日本車輌製造である。台車も中間車の車体とそれぞれ同じメーカーにより製造されており、近畿車輛製の1301編成が同社製KD-29系(電動車がKD-29B、制御車がKD-29C)、日本車輌製の1305編成は同社製ND-304台車を装備する。西鉄1300形電車 フレッシュアイペディアより)

  • 近鉄5000系電車

    近鉄5000系電車から見た近畿車輛近畿車輛

    台車は、5001 - 5005が日本車輌D-16C、5006・5007は同社D-18、ク5100形は近畿車輛KD-32Dである。モ5000形の主電動機は5001 - 5006が東洋電機製104kwのものが4個、5007は同社製だが75kwのものを4個装備している。近鉄5000系電車 フレッシュアイペディアより)

  • 大阪鉄道デニ500形電車

    大阪鉄道デニ500形電車から見た近畿車輛近畿車輛

    大阪鉄道デニ500形電車(おおさかてつどうデニ500がたでんしゃ)は、近畿日本鉄道(近鉄)南大阪線などの前身となる大阪鉄道(大鉄)が、1928年から製造した大型電車である。1930年までに派生形式も含めて60両が田中車輛と川崎車輌で製造された。大阪鉄道デニ500形電車 フレッシュアイペディアより)

  • 国鉄カ2000形貨車

    国鉄カ2000形貨車から見た近畿車輛近畿車輛

    カ3000形は、1954年(昭和29年)および1955年(昭和30年)に150両(カ3000 - カ3149)が製造された。カ2000形とほぼ同形の車体に軸ばね支持装置を2段リンク式として最高運転速度を75km/hとした。1959年(昭和34年)には、カ2000形もこの時点で廃車となっていた1両を除いた199両が軸ばね支持装置を2段リンク式に改造し、カ3000形に編入されている(カ3150 - カ3348)。製造所は、川崎車輛、近畿車輛、汽車製造、ナニワ工機、協三工業、鉄道車輛工業であり、カ2000形よりの改造は盛岡工場にて50両、新小岩工場にて60両、多度津工場にて64両、幡生工場にて25両である。この改造工事は、昭和34年度貨車整備工事改造 1959年(昭和34年)8月8日通達による。国鉄カ2000形貨車 フレッシュアイペディアより)

  • 近鉄6411系電車

    近鉄6411系電車から見た近畿車輛近畿車輛

    主電動機は三菱電機製の狭軌用大出力型(MB-292-AF、出力150kW×4)で、主制御器は南大阪線初の日立製作所製電動カム軸制御器(MMC-H200EZ)を採用した(大阪鉄道時代からウェスティングハウス(WH)社製の単位スイッチ制御器が主力であった南大阪線系列では異例の採用であった)。台車は近畿車輛製のボールドウィンタイプ・イコライザー式で、旧式ながらこの当時では手堅い選択であった。近鉄6411系電車 フレッシュアイペディアより)

  • 阪神31形電車

    阪神31形電車から見た近畿車輛近畿車輛

    31形は1929年から1930年にかけて、31 - 40の10両が田中車輛、41 - 45の5両が汽車製造、46 - 50の5両が日本車輌製造の3社で合計20両が製造された。車体長、車体幅、側面窓配置、前面のデザイン、台車などについては、ナンバーが切り抜き数字となり、46 - 50が通風口を前面左側に取り付けていたほかは1形と変化ないが、モーターと電装品については大きく変更され、1形と異なり、東芝製SE-116D(26.1kW≒35HP)を4基搭載して高出力化した。制御装置も東洋電機製の直接式制御器を搭載した。この制御器は4個のモーターを直接制御するために流れる電流も大きく、ノッチの進段にも内部に爪を設けるなどしたために従来の直接制御器より大きくなり、運転台の窓にはみ出して見えるくらい大変大きなものとなった。こうしてモーターを増設したことから、自重は18.6トンと1形に比べると1トン重くなった。集電装置は北大阪線に投入された車両については複架線式の区間が存在したためにトロリーポールを前後に各2基搭載した姿で竣工した。阪神31形電車 フレッシュアイペディアより)

  • 阪神国道電軌1形電車

    阪神国道電軌1形電車から見た近畿車輛近畿車輛

    1形は1927年の国道線開業時に合計30両製造された。その内訳は、1 - 10が藤永田造船所、11 - 20が田中車輛、21 - 30が大阪鉄工所でそれぞれ10両ずつ製造されている。阪神国道電軌1形電車 フレッシュアイペディアより)

  • 西鉄300形電車 (鉄道)

    西鉄300形電車 (鉄道)から見た近畿車輛近畿車輛

    近畿車輛・汽車製造・日本車輌製造・川崎車輛(現・川崎重工業)の4社で製造された。塗色は大牟田線時代は当時の西鉄一般車標準色の上半分クリーム色、下半分マルーン色のツートンカラーだったが、宮地岳線に転属した車両については転属時に2000形と同じオキサイドイエローを基調にボンレッドの帯の塗色に改められた。2 - 3両が基本編成であり、座席は全車ロングシートで、定員は先頭車が120人、中間車が130人となっている。なお、時代の変化により数々の変遷や改番が行われているため、経歴は非常に複雑である。文献などによっては、広義の300形として313形も含むことがあるが、本項では記述を除外する。西鉄300形電車 (鉄道) フレッシュアイペディアより)

  • ピドゥルギ号

    ピドゥルギ号から見た近畿車輛近畿車輛

    1961年からソウル周辺で日本から有償援助された気動車159両(国鉄キハ52型ベース、180馬力エンジン2基搭載。製造は新潟鉄工所64両、近畿車輛51両、川崎車両5両、日本車輌39両)を使用した列車を運行した。これらの気動車は1974年以降の首都圏電鉄拡充により地方線区へ移転したが、49両が事故廃車となり、うち8両は火災事故であった。また、動力車不足のために気動車2両の間に客車3両を付随車として挟むなどの運用を行った。20両はエンジンを撤去され付随車となっていた。これら日本製気動車は1997年初頭に全廃された。ピドゥルギ号 フレッシュアイペディアより)

  • 三重交通サ150形電車

    三重交通サ150形電車から見た近畿車輛近畿車輛

    さらに、同じ1950年の11月にはサ100形を半鋼製化してモニ220形に類似の外観としたサ150形が近畿車輛(近車)(151 - 154・161 - 164)と帝国車輌(帝車)(155・156)で落成、翌年1月にも帝車で165・166が落成して12両が出揃った。これらについても前回同様151 - 156が北勢線に、161 - 166が三重線に配置され、ここにおいてようやく種々雑多な在来客車の淘汰による輸送状況の改善が実現した。三重交通サ150形電車 フレッシュアイペディアより)

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