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原田大六から見た邪馬台国
当時、邪馬台国近畿説に関連して小林行雄が唱えた「銅矛銅剣文化論」を、その他の青銅器や、鉄器が「故意に」除外されており、古墳時代に副葬が盛んとなるはずの銅鏡や鉄剣が意図的に除外された「隠蔽の誤謬」として批判し、弥生後半の墳丘墓と古墳の間にみられる共通性から、古墳の起源を追うことを提唱。さらに、小林が主張していた銅鏡の手づれ(摩滅)による「伝世鏡論」も、研磨工としての経験から否定し、鋳造時の不完全さからなる「湯冷え」(鋳型に金属が完全に回る前に固まってしまう事)であると敢然と主張した。1950年に初の著作となる「日本国家の起源 -古墳文化形成過程の研究-」としてまとめた。(原田大六 フレッシュアイペディアより)
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