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進ぬ!電波少年から見た野沢直子
「アメリカのコメディーよりも日本のお笑いのほうが面白いのではないか?」という疑問から、アメリカに通用する日本のお笑いを作るため、ダウンタウンの松本人志(以下「松ちゃん」)が挑戦。ただし、これまでの企画とは異なり松ちゃんはスケジュールの都合などで拘束されることはなかった。企画はまず、アメリカでコメディアンとして活動する野沢直子に会いに行き現地のコメディーショーを視察、数か月後松ちゃんの過去のコント作品(字幕版)をアメリカ人に見せて反応を伺った。ほとんど満足のいく反応を得られず、改めてアメリカ人向けのコント作品「サスケ」を制作することが決定。その後納得の行く作品に仕上がるまで推敲を重ね、ニューヨークでの上映会へと向かった。上映会に集められた観客は200人で、人種・年齢・性別は当時のアメリカ国内の比率に合わせられている。結果アメリカ人からそこそこのウケを得た。(進ぬ!電波少年 フレッシュアイペディアより)
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木梨憲武から見た野沢直子
高校卒業後の1980年、東京都内の東京ダイハツ販売の杉並営業所に就職。同時期、所ジョージ司会のバラエティ番組『ドバドバ大爆弾』(テレビ東京系)にも出場。あと一息のところで賞金100万円を獲り逃がす。ちなみに同番組を経てデビューしたタレントに野沢直子やブラザー・コーン(バブルガム・ブラザーズ)がいる。1980年7月、『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)に石橋とのコンビ「貴明&憲武」として出場する。1981年、『お笑いスター誕生!!』の勝ち抜き6週目から現在のコンビ名「とんねるず」に改名。公式サイトでは、とんねるずの結成時期は「1980年」と記載されている。1982年4月、ついに『お笑いスター誕生!!』で10週勝ち抜きグランプリを獲得。プロデビュー後2〜3年は下積みの日々を過ごしたが1984年にブレイク。『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』(共にフジテレビ)の出演などで若者のカリスマ的存在となり、一気にスターの階段をかけ上っていった。1984年 - 1986年に深夜ドラマの草分け『トライアングル・ブルー』に可愛かずみ、川上麻衣子、柄沢次郎、前田耕陽等と共演する。(木梨憲武 フレッシュアイペディアより)