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福田康夫内閣 (改造)から見た野田聖子
自民党の全派閥に閣僚や党役員ポストを振り分けた。野田聖子消費者行政担当相や保利耕輔自民政調会長など郵政民営化に反対した人物も起用され、挙党体制に配意した人事とみられる。また、厚生労働省の副大臣に鴨下一郎(前環境相)を、経済産業省の副大臣に高市早苗(元沖縄・北方対策担当相兼少子化・男女共同参画担当相)をそれぞれ起用するなど、閣僚経験者2名を副大臣として任命した。(福田康夫内閣 (改造) フレッシュアイペディアより)
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野中広務から見た野田聖子
亀井静香、藤井孝男、野田聖子、古賀誠、小林興起らかつての反小泉の勢力も落選・非公認・離党などで権力抗争から外れていったため、彼らを支援していた野中の影響力も次第に低下していた。小泉の後継者である安倍晋三が総理大臣を辞職すると、古賀誠の要請で麻生包囲網に参加したとも、福田康夫内閣成立の立役者(新五人組)の一人とも言われている。古賀が自民党選対委員長に就任したこともあり、低下していた野中の影響力に変化が生じたといわれた。その後、対立関係にある麻生太郎が党総裁・総理に就任すると、麻生を批判する発言を行った。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、元の地盤の京都4区は田中英夫・中川泰宏がともに民主党の北神圭朗に敗れて落選し、小選挙区制導入以来続いた自民党の議席を失った。(野中広務 フレッシュアイペディアより)
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