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NO MERCY (プロレスリング・ノア)から見た金丸義信
2011年1月に同団体の軍団DISOBEYに属する金丸義信がKENTAとタッグチームを結成してみたい気持ちがあることを吐露。その後、同月23日アクロス福岡大会のKENTAの試合後に、金丸がリング上に登場し、KENTAにタッグを結成するようにマイクアピールをした。しかし、KENTAは金丸の耳元で何かを囁き、金丸は「分かった」と発言して、そのまま退場した。このとき、KENTAは、タッグ結成のための条件を提示したと明かされた(その条件はこのときは不明)。同月のツアー最終戦(後楽園ホール)第4試合、潮崎豪、小川良成、KENTA組vsモハメド・ヨネ、金丸義信、平柳玄藩組の試合中、KENTAはパートナーの潮崎と小川を突然裏切り、パイプ椅子攻撃を敢行した。そして、金丸や平柳・ヨネと握手し、「これからが新しいディスオベイの始まり」とマイクアピール。DISOBEYに加入した。(NO MERCY (プロレスリング・ノア) フレッシュアイペディアより)
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外道 (プロレスラー)から見た金丸義信
2000年4月1日、横須賀市総合体育会館において、中川と共に冬木弘道&井上京子組からWEWタッグ王座を奪取。この時点で中川と共にWEWタッグ&6人タッグ王座二冠王となった。4月25日、渋谷ON AIR EASTで冬木弘道&井上京子&チョコボール向井組に敗れWEW6人タッグ王座から転落するも、5月3日、博多スターレーン大会において邪道&中川浩二と共にWEW6人タッグ王者に返り咲き、中川と共に二冠王にも返り咲いた。しかし5月28日の後楽園大会でまたしても冬木弘道&井上京子&チョコボール向井組に敗れWEW6人タッグ王座から転落。さらに同日、中川とのコンビ解散を理由にWEWタッグ王座を返還。タッグパートナーを邪道に変えて、7月14日、高杉市総合体育館で行われたWEWタッグ王座決定戦でH&黒田哲広組を下し、自身3度目のWEWタッグ王者となる。しかしわずか2週間後の7月28日、後楽園ホール大会でプロレスリング・ノア所属の井上雅央&金丸義信組に敗れ王座転落。8月28日、後楽園ホール大会で保坂秀樹&佐々木嘉則組の持つWEWハードコアタッグ王座に挑戦するも敗退。9月17日にはディファ有明大会でパートナーを邪道&中山香里に変更し、3度目のWEW6人タッグ王座獲得。9月21日、月寒アルファコートドームで行われた保坂秀樹&マンモス佐々木 vs 金村キンタロー&山川竜司 vs 邪道&外道の3ウェイダンスマッチ制し、WEWハードコアタッグ王座を獲得。邪道と共に、WEW6人タッグ&ハードコアタッグ王座の二冠王となった。10月12日、博多スターレーン大会でスプリーム&ホームレス・ジミーに敗れWEWハードコアタッグ王座から転落。(外道 (プロレスラー) フレッシュアイペディアより)
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ウルティモ・ドラゴンから見た金丸義信
2013年12月15日、全日本プロレスにて世界ジュニアヘビー級王座を獲得。2015年には金丸義信をパートナーにアジアタッグ王座を獲得(金丸の全日本退団により王座返上)。(ウルティモ・ドラゴン フレッシュアイペディアより)
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スターネスから見た金丸義信
2000年に全日本プロレスで小橋健太率いるバーニングを脱退した秋山準が、当時若手であったマウナケア・モスマン(太陽ケア)・橋誠とチームを結成(チーム名称が未定であったため「秋山軍」と仮称されることが多い)、これが後のスターネスの前身となる。その後バーニングとの「バーニングが負けたら即解散」の条件付6人タッグ決戦に勝利し、バーニングを解散に追い込む。その試合終了時に、バーニングのメンバーだった金丸義信がこれに追随した。しかし、この大会終了後にモスマンを除くメンバーが全日本プロレスを退団しプロレスリング・ノアに移籍したために、このチームは自然消滅となる。(スターネス フレッシュアイペディアより)
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ダーク・エージェントから見た金丸義信
D.A.は、ひたすら"闇"の布教に努めた。勢力も拡大していき、齋藤のかつての同志でもある越中詩郎や青柳政司、外国人選手のバイソン・スミスやザ・グラジエーターなどと協力関係も築いた。また田上明とカード編成上の都合で単発的にタッグを組んだときに、田上にD.A.ジャンパーを着用させ、杉浦が元田上の付き人であるから、田上はD.A.加入後杉浦の付き人から始めることなどを勝手に決め、田上はあきれて加入を共闘や加入を拒絶した。杉浦はジュニアヘビー級戦線でスターネスの金丸義信と組んでGHCジュニアヘビー級タッグ王座を取ったが、杉浦等D.A.から金丸への度重なる移籍要請は断わられていた。(ダーク・エージェント フレッシュアイペディアより)