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  • 金沢市

    金沢市から見た金沢城金沢城

    南東部は山地で、奈良岳(1,644m、金沢市の最高峰、犀川の水源)をはじめ、見越山 (1,621m)、大門山 (1,572m)、医王山(いおうぜん、939m)などがある。平野に近い部分は丘陵地となり、戸室山 (548m)、キゴ山 (546m)、野田山 (180m)、満願寺山 (177m)、卯辰山 (141m) などがある。戸室山・キゴ山は数十万年に形成された第四紀火山である。北西部は金沢平野で、犀川(別名おとこ川)、浅野川(別名おんな川)、金腐川(かなくさりがわ)、森下川(もりもとがわ)、伏見川、高橋川、内川などが流れる。犀川とこれに合流する伏見川は日本海へ直接注ぐが、他の川は河北潟へ流れ、大野川を経て日本海へ注ぐ。海岸部は砂丘となっており、河口部分は北向きに曲がっている。犀川上流には犀川ダムや内川ダムがあり、上水道や灌漑などに利用されている。犀川と浅野川は市内を並行して流れ、犀川北岸と浅野川南岸それぞれの河岸段丘に挟まれた台地が小立野台地である。小立野台地の西端に金沢城や兼六園がある。また、犀川南岸の河岸段丘は寺町台地と呼ばれる。金沢市 フレッシュアイペディアより)

  • 黒羽織党

    黒羽織党から見た金沢城金沢城

    黒羽織党(くろばおりとう)は、江戸時代末期(幕末)に、加賀藩の藩政改革を主導した長連弘を中心とする党派である。金沢城下で私塾拠遊館を営んだ実学志向の儒学者上田作之丞の教えを信奉した集団で、弘化4年(1847年)末から長一派が罷免された嘉永7年(1854年)6月までを「第一次黒羽織党政権」(嘉永の改革)と称し、長の死後となる文久2年(1862年)から翌年にかけて黒羽織党の面々が復職し、短期間藩政を主導した時期を「第二次黒羽織党政権」と呼ぶ。"黒羽織"党の名の由来は、彼らが仲間内で会合する際、常に黒い羽織を着ていたためとも、「黒羽織」が方言でフグを意味し、その毒のように人々に害をなしたためともいわれる。黒羽織党 フレッシュアイペディアより)

  • 尾山神社

    尾山神社から見た金沢城金沢城

    慶長4年(1599年)前田利家が没すると前田利長は、その霊を祀ろうとしたが、公然と祀るには憚るところがあったので、越中国射水郡の式内社物部神社(現 富山県高岡市東海老坂)に併祀されていた八幡神を勧請して金沢城の東に卯辰八幡社を建て、ここに合祀した。この神社は、幕末になると藩の財政が乏しくなり荒廃が目立つようになった。明治時代になって、1872年(明治5年)に教部省出仕加藤里路(元金沢藩の権大属・宣教掛で、のちに尾山神社の社司)と石川県参事桐山純孝が新たに藩祖を祀る神社を建てる計画をする。旧藩臣が集まり前田土佐守家の前田直信が代表になり明治6年金沢城の金谷出丸の跡地に新たに建立することとなった。元の卯辰八幡社は、明治11年、宇多須神社となっている。尾山神社 フレッシュアイペディアより)

  • 塀 (城郭)

    塀 (城郭)から見た金沢城金沢城

    戦国時代の末、安土桃山時代に鉄砲が普及すると塀も防弾性を考慮して壁の厚さが7寸(約210ミリメートル)以上にもなった。江戸時代初期の名古屋城土塀では内側にケヤキの板を張ってより防弾性を高めてある。金沢城では平瓦を張り付けたり塀の芯部に小石を詰めて強度を増した太鼓塀を構築している。塀 (城郭) フレッシュアイペディアより)

  • 国立病院機構金沢医療センター

    国立病院機構金沢医療センターから見た金沢城金沢城

    1873年(明治6年)に金沢城跡内に金沢衛戍病院(かなざわえいじゅびょういん)を開設したのが起源である。1899年(明治32年)、現在地(加賀藩前田家の家臣であった旧奥村邸跡地)に移転した。金沢医療センター周辺は本多の森公園や兼六園に隣接しており、緑地帯が広がる地域に位置する。国立病院機構金沢医療センター フレッシュアイペディアより)

  • 尻垂坂の戦い

    尻垂坂の戦いから見た金沢御坊金沢城

    これに対し、越中一向一揆の頭領である勝興寺(安養寺御坊)の顕栄は、加賀一向一揆の頭領・金沢御坊の坪坂包明(坪坂伯耆守)に、謙信の越中侵攻を報じ、警戒を呼びかけた(『勝興寺文書』)。25日、謙信の家臣で揚北衆の本庄繁長が本国・越後で反乱を起こしたとの知らせが入り(本庄繁長の乱)、攻撃を中止。越後へ引き返し鎮圧に向かう謙信の背後を突くべく、顕栄は反撃に出ている。なお顕栄の息子・顕幸も父に従い謙信と長年争っていたが、後に大阪石山本願寺籠城に加わり織田信長とも戦っている(石山合戦)。尻垂坂の戦い フレッシュアイペディアより)

  • 犀川 (石川県)

    犀川 (石川県)から見た金沢城金沢城

    江戸時代初期、犀川上流の水を金沢城に引いた辰巳用水が建設され、現在も流れている。そのほか、金沢市内を流れる数々の用水が取水しており、市民の水資源として重要な役割を果たしている。上流には犀川ダム、内川ダムがあり、さらに2012年(平成24年)には、洪水対策として工事が行われていた辰巳ダムが竣工した。また、浅野川の洪水防止のため、浅野川の水を犀川に分水している。犀川 (石川県) フレッシュアイペディアより)

  • 金沢百万石まつり

    金沢百万石まつりから見た金沢城金沢城

    加賀藩の祖、前田利家が、1583年6月14日、金沢城に入城したことにちなんだもので、入城の行列を再現した百万石行列をはじめ、薪能、茶会等のイベントが、6月上旬の土曜日(2007年からは第1土曜日)を中心とした3日間に行われる。金沢百万石まつり フレッシュアイペディアより)

  • 金屋石

    金屋石から見た金沢城金沢城

    金屋石(かなやいし)は緑色凝灰岩()の一種。富山県砺波市庄川町の庄川右岸、合口ダムから小牧発電所対岸の付近一帯で採掘される石材。青白色で福井県の笏谷石によく似ている。柔らかい緑色凝灰岩であるため加工がしやすく、弾力性に富む。古くから金沢城や辰巳用水などの石管に使われたほか、土蔵・地蔵堂などの建材や神社や寺院の狛犬や灯籠などに用いられた。採掘は江戸時代に始まり、幕末に進展して明治時代に最盛期を迎えるが戦前・戦後を通してコンクリートの普及などで大きな打撃を受け、昭和40年代に採掘を停止した。採掘跡は砺波市ふるさと文化財に登録されている。金屋石 フレッシュアイペディアより)

  • 石川県立工業高等学校

    石川県立工業高等学校から見た金沢城金沢城

    金沢市の中心部に位置する。近隣に兼六園、金沢城、金沢市役所、MRO北陸放送本社、北陸電力石川支店、金沢中警察署などがある。石川県立工業高等学校 フレッシュアイペディアより)

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