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金石町から見た金沢城
加賀藩政期、前田利家が宮腰から金沢城へ入城した縁もあり、宮腰港は加賀藩の外港として優遇を受けていた。しかし、隣接する大野港(現在の金沢港付近)にも外港機能があり、大野村と宮腰町の間で利害が対立することが多かった。このような状況を見兼ねた加賀藩は宮腰町と大野村を地域として融合させようと1866年(慶応2年)に合併させた。新しい町名として、固いこと「金石(きんせき)の交わり」(固い約束の意味)から金石(かないわ)を町名として採用した。宮腰地域が金石町本町(1889年に石川郡上金石町に改称)、大野地域が金石町庄町(1889年に石川郡下金石町に改称)となる。(金石町 フレッシュアイペディアより)
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本多政行から見た金沢城
享保13年(1728年)11月14日本多家第2代当主政長の四男政冬の子として金沢に生まれる。延享5年(1748年)養父政昌の死去により家督と5万石の知行を相続する。寛延元年(1748年)12月従五位下安房守に叙任。宝暦3年(1753年)藩主前田重靖の家督相続の御礼言上の際に、江戸城で将軍徳川家重に拝謁する。宝暦6年(1756年)安房守を遠江守と改める。宝暦7年(1757年)金沢城代となる。宝暦12年(1762年)安房守に復す。寛政8年(1796年)2月隠居して家督を嫡男政成に譲る。寛政9年(1797年)11月23日没。政房は一族の旗本本多政寛の婿養子となった。(本多政行 フレッシュアイペディアより)
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