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鈴木大地から見た世界オリンピアン協会
他に、世界オリンピアン協会 (WOA)理事、日本アンチドーピング機構理事を務めていた。公職以外ではオリンピックや世界水泳選手権などで解説者、講演者、執筆者として、また水泳教室での指導者としても活動していた。(鈴木大地 フレッシュアイペディアより)
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鈴木大地から見た水没泳法
ソウルオリンピックの決勝では「優勝はまず難しいだろう。なんとかメダルを獲得してくれれば」という大方の予測・悲観的希望を覆した。1960年代(特に70年代後半あたり) - 1980年代の日本の競泳界は、外国勢が飛躍的な記録の更新を続けたのに対し、水没泳法の禁止といった国際ルールの壁に苦戦を強いられるなど、まさに冬の時代にあった(平泳ぎでは高橋繁浩や長崎宏子ら、世界のトップクラスに入る選手はいたが、不運も重なり、オリンピックでのメダル獲得はならなかった)。かつての水泳王国は影をひそめ、オリンピックでは決勝はもとよりコンソレーションファイナル(順位決定戦(現在で言うところの準決勝に相当する。準決勝を開催しない代わりにコンソレ方式が採用されていた時期がある))進出さえ困難な状況が続き、長らく低迷・沈滞し続けていた。そのような中で、鈴木がソウルオリンピックで金メダルを獲得したことは、ミュンヘンオリンピックの青木まゆみ・田口信教以来16年ぶりの金メダル獲得(メダルとしても16年ぶり)の快挙となり、日本の競泳を復活させる大きな切っ掛けになった。古橋廣之進(当時、日本水泳連盟会長)は、鈴木の金メダルに「もう一度日本の水泳を復活させたい」と涙していた。(鈴木大地 フレッシュアイペディアより)