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鈴木敏夫から見た日本テレビ放送網
1989年10月にスタジオジブリへ移籍して以降は、同スタジオ全作品の映画プロデューサーを務めている。移籍した当時、『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』・『火垂るの墓』等の興行成績は振るわず、『魔女の宅急便』が最後だと言われる状況であった。そこで、日本テレビと提携することで、『魔女の宅急便』をヒットさせ、後のスタジオジブリ作品の興行的成功とブランド確立につなげた。メイキングビデオ『もののけ姫はこうして生まれた。』では、爆発的なヒットを仕掛けた宣伝プロデューサーとしての一面が収められている。しかし『ホーホケキョ となりの山田くん』や『イノセンス』では興行目標がクリアされなかった。(鈴木敏夫 フレッシュアイペディアより)
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鈴木敏夫から見た星野康二
1997年、スタジオジブリが徳間書店に吸収合併され、社内カンパニーとして発足した「スタジオジブリ・カンパニー」のプレジデントに就任した。1999年、同書店が事業本部制を導入し、「スタジオジブリ事業本部」が設立されると、本部長に就任した。2005年、スタジオジブリが徳間書店から再独立した際には、代表取締役社長に就任した。2008年2月1日付でスタジオジブリ代表取締役社長を退任し(後任は星野康二)、以降は代表取締役を務めている。『イノセンス』で共同プロデューサーをした、もう一人のプロデューサー石川光久に「ジブリの社長をやってくれないか」と打診していたが断られている(鈴木敏夫 フレッシュアイペディアより)
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