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鈴木敏夫から見た鈴木敏夫のジブリ汗まみれ
鈴木敏夫のジブリ汗まみれ(TOKYO FM 2007年10月7日〜 毎週日曜23:00 - 23:30、JFN38局ネット DJ)(鈴木敏夫 フレッシュアイペディアより)
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鈴木敏夫から見た大学ノート
宮崎駿と鈴木が企画した『風の谷のナウシカ』の映画化が決定すると、宮崎の要望に基づき、鈴木は高畑勲にプロデューサーを引き受けるよう要請した。高畑が慎重な姿勢を崩さないため、鈴木は高畑の自宅に日参し1か月に渡って延々と説得を繰り返した。ところが、高畑は1か月かけて日本におけるプロデューサーの役割を分析しており、それを大学ノート1冊を費やして『プロデューサーとは何か?』と題した論文に纏め、「だから僕はプロデューサーに向いていない」と主張した。呆れた鈴木が「理屈ではそうかもしれないですけれど、高畑さん、あなたは宮崎さんの友人でしょ。その友人が困っているんですよ。そんなときに、あなたは力を貸そうとしないんですか」と声を荒らげたため、高畑は『風の谷のナウシカ』のプロデューサーに就任することを諒承した。しかし、アニメーション制作の拠点をどうするのか鈴木に目算がなかったため、高畑から「何を作るか、どうやって作るか。それを全部、宮崎駿におんぶに抱っこか?」と叱責された。以降は、高畑と鈴木が2人で制作拠点となるアニメーションスタジオの選定や人材の確保に奔走した。『風の谷のナウシカ』製作当時を振り返り、鈴木は「僕はプロデューサーという仕事を、このときプロデューサー初体験だった高畑さんから学んでいくんです」と述懐している。(鈴木敏夫 フレッシュアイペディアより)