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嘉弥真新也から見た鉄平 (野球)
''プロ1年目は二軍でスタートし、ウエスタン・リーグ公式戦で、3月20日から5月1日まで中継ぎ投手として10試合登板し、防御率0.00、WHIP0.82、奪三振率9.82を残した。5月2日、金澤健人の離脱により一軍へ合流し、5月4日に出場選手登録され、同日本拠地福岡 Yahoo! JAPANドームで行われた対東北楽天ゴールデンイーグルス戦に、8回5点ビハインド二死一三塁からプロ初登板を果たす。内村賢介に二盗され、聖澤諒にはフルカウントから四球を出すが、西村弥をライトフライに打ち取り満塁を切り抜けた。9回は先頭の鉄平に安打を許すも、残りを併殺とゴロに打ち取り、1回1/3を無失点に抑えた。その後2試合僅差ビハインドから登板し、5月10日は吉川輝昭、5月11日には甲藤啓介に走者を返されて連続失点となった。同年4試合目となる5月16日のセ・パ交流戦、対東京ヤクルトスワローズ戦において、7回から交流戦初登板したが、二死取った所から高谷裕亮のパスボール、8回は今宮健太の悪送球タイムリーエラーがあったものの、2イニングを投げて4安打3四球6失点(自責4)と打ち込まれ、5月17日に二軍降格となり、同年の再昇格は無く終わった。7月19日にHARD OFF ECOスタジアム新潟で行われたフレッシュオールスターゲームに4番手で登板し無失点に抑えた。ウエスタン・リーグ公式戦では最終的に中継ぎ32試合で防御率1.19、WHIP1.06、先発は2試合8イニングを投げ防御率4.50だった。10月6日のファーム日本選手権では2番手で登板した。(嘉弥真新也 フレッシュアイペディアより)
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地元スポーツ応援団スポッち!から見た鉄平 (野球)
鉄平 \(野球\) (元中日、楽天、オリックス外野手、現東北楽天ゴールデンイーグルスジュニアコーチ、プロ野球解説者)(地元スポーツ応援団スポッち! フレッシュアイペディアより)
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藤原満から見た鉄平 (野球)
大学時代は三番打者で典型的な中長距離打者であったが、当時の野村克也選手兼任監督は、タイ・カッブが使用していた重量がありグリップの太い「つちのこバット」(すりこぎバット)をオーダーするよう高畠康真打撃コーチに指示し、高畠コーチの指導の下、ボールをぶつけてゴロやライナーを打ち、足を生かす打者へ転向。なお、この「つちのこバット」は藤原が先駆けとなり、福本豊・若松勉・松本匡史・高橋慶彦・大石大二郎ら俊足選手が使用するようになった。その後も野村が監督を務めたチームでは同様に俊足打者に対して野村自ら指令を出し、ヤクルトスワローズの飯田哲也、阪神タイガースの赤星憲広・田中秀太、東北楽天ゴールデンイーグルスの鉄平・森谷昭仁が使用した。(藤原満 フレッシュアイペディアより)
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高須洋介から見た鉄平 (野球)
、前年の手術の影響か開幕スタメンは新加入の小坂誠に譲ったが、3割を超える好調な打撃ですぐにレギュラーの座を取り返した。相変わらずの得点圏打率の高さを記録するなど打線を牽引していたが、5月6日の西武戦で片岡易之が放ったセンター前への飛球を捕球する際にセンターの鉄平と交錯、左足首を捻挫して登録選手を抹消された(後に靱帯損傷と発表)。3か月に及ぶリハビリの末、8月5日に一軍復帰。10月16日の福岡ソフトバンクホークスとのクライマックスシリーズ第1ステージ第1戦では杉内俊哉から初回先頭打者本塁打を放った。チームはCS初勝利を挙げ、翌日も勝ち、第2ステージ進出を決めた。第2ステージでは日本ハムに敗れ、日本シリーズ進出はならなかったが、チームにとっては球団初のAクラス入りを果たすなど大きく成長した一年となった。(高須洋介 フレッシュアイペディアより)