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鉄平 (野球)から見た礒部公一
、最高年俸だった礒部公一が大減俸となったため、楽天外野手最高年俸の選手となった。週刊ベースボールのインタビューで「今年の自分の鍵を握る最大のポイントは運ですね」とシーズンに臨む意気込みを語っている。3割5分を超える高打率を維持していた5月、「気持ち悪い」と体調不良を訴えて二軍降格。症状からメニエール病ではないかと心配されたものの検査したところ特に異常はなかったため、すぐ公式戦に復帰した。8月6日には球団新記録となる22試合連続安打を記録。同日は決勝打を含む3安打を放ち、打率トップに浮上する。最終的に連続試合安打の記録を24まで伸ばしている。また、この頃には4番を努める山崎武司と並ぶ不動の3番バッターとして活躍。8月の成績は打率.402、3本塁打、24打点で自身初の月間MVPを受賞。終盤やや打率を落としたものの、最後までトップの座を守り、初の打撃タイトルとなる首位打者を獲得した。打率.327、12本塁打、76打点、13盗塁は自己最多。前年左投手に.202と苦しんだがこの年は.314、7本塁打をマークした。更にシーズン記録では5位タイとなる両リーグ最多の13本の三塁打を放つなど飛躍のシーズンとなった。10月13日にはこの活躍により大分市民栄誉賞の進呈が発表された。同賞を贈られるのは同学年の内川聖一に次いで2人目。また、初となる外野手のベストナインに選出された。実は8月9日の対日本ハム戦で武田勝からボールを受けて(この時の判定はファウル)左手人差し指を骨折をしていたが、それでも試合に出続けていたことをオフの激励パーティーにて語った。(鉄平 (野球) フレッシュアイペディアより)
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鉄平 (野球)から見たライアン・グリン
、3月24日の開幕戦から11試合連続ヒットを記録する。5月6日、北京オリンピック日本代表選手・第一次候補選手に選ばれる。7月20日、21日に行われたオールスターゲームに、ファン投票で選出され(楽天からは鉄平含め合計8名選出)、第1戦(東京ドーム)では途中出場、第2戦(フルキャストスタジアム宮城)では「1番・中堅手」でスタメン出場した。8月7日、日本ハム戦でライアン・グリンから第10号本塁打を放つ。この年はチーム2位の135試合に出場した。打率.254、出塁率.311は共に昨年よりダウンするも、本塁打が10本と、プロ初の二桁本塁打を記録。打順はシーズン通して一定しなかったが、下位打線で出場することが多かった。(鉄平 (野球) フレッシュアイペディアより)
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鉄平 (野球)から見た牧田明久
、新しく監督に就任した星野仙一から、山崎武司に代わる新キャプテンに指名され、キャンプでは左翼手にコンバートされたが、右翼手のレギュラー候補であった牧田明久が故障離脱したため右翼手に戻された。この年は新たに統一球が導入されたこともありスイングの修正に取り組んだが、本人が「すべてを失った」というほどの不振に陥った。シーズンに入ってからはまったく調子が上がらず、中盤はほとんどファームで過ごす事となった。91試合の出場で打率.228、1本塁打、17打点と楽天移籍後としては最低の成績となった。打撃はサッパリだったものの、守備では出場試合が少ないにもかかわらず、リーグ2位となる9個の補殺を記録した。(鉄平 (野球) フレッシュアイペディアより)
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鉄平 (野球)から見たジェフ・ウィリアムス
初盗塁:2004年5月29日、対阪神タイガース11回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に二盗(投手:ジェフ・ウィリアムス、捕手:矢野輝弘)(鉄平 (野球) フレッシュアイペディアより)