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鋼から見たステンレス鋼
現在の金属学の定義では、Fe-C系2元合金において、C含有量が0.0218 - 2.14%の範囲にある部位である。言い換えると、フェライトのC最大固溶量(0.0218%)からオーステナイトのC最大固溶量(2.14%)までの範囲の部位とも定義できる。Fe-C系2元合金において、C含有量が0.0218%以下のものを鉄と呼び、2.141以上のものを鋳鉄と呼ぶ。一方で、極低炭素鋼やステンレス鋼のように炭素の添加がなされない鉄も「鋼」と呼ばれる。国際規格の ISO 4948-1 では、一般的に2.0%以下の含有量の炭素と他の元素を含む鉄の合金を鋼 (英語:steel、フランス語:acier) 定義している。(鋼 フレッシュアイペディアより)
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鋼から見た日本刀
産業革命以前の世界においては各国で鋼が製造されたが、なかでも最も名高かったものはインドにおいて生産されるウーツ鋼であった。ウーツ鋼はインド国内で消費されるほか、中東方面へも盛んに輸出され、とくにシリアのダマスカスにおいて刀剣に加工されたものは非常に高い評価を受けていた。このことから、ウーツ鋼はダマスカス鋼という名前で広く知られるようになった。ウーツ鋼はるつぼによって生産されたが、19世紀初頭までには生産が途絶え、現代においては製法は失伝している。日本においてもたたら製鉄によって玉鋼と呼ばれる鋼が生産され、主に日本刀の原料として使用された。ウーツ鋼や玉鋼に見られるように、近代以前の世界において鋼の主な使用法は、硬度の要求される刀剣の材料としてのものであったが、16世紀以降、オスマン帝国で鋼は銃の砲身に使用されるようになり、この製法はムガル帝国にも伝わった。しかし、大量に生産することはどこの文明圏においてもできなかった。18世紀に入るとイギリスで徐々に製鋼法の改善がはじまり、1740年代にはベンジャミン・ハンツマンによってるつぼを使用して良質の鋼が作られたものの、これは量産することは不可能であった。この後も様々な鋼の生産法が開発されるものの、真に工業的に大量生産ができるようになるのにはヘンリー・ベッセマーによる1856年の転炉法の発明を待たねばならなかった。(鋼 フレッシュアイペディアより)