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大東興業から見た銀座
1958年(昭和33年)11月2日、東京都中央区銀座2丁目5番地に大東興業株式会社として設立、登記された。同所在地は、独立映画(代表厚見進、北星映画の後身)の当時の所在地と同一である。独立映画は、1954年(昭和29年)7月10日、北星映画から資産・人員・配給業務を継承し、伊藤武郎が代表となって発足した配給会社であり、製作会社の中央映画の作品を中心に配給していたが、同年の日活による自主製作再開により、独立系のスタッフが吸収され、中央映画も解散、配給すべき映画が製作されなくなっていた。やがて独立映画では、常務取締役であった厚見進が代表取締役に就任、伊藤は取締役に降格、独立映画の取締役であった角正太郎が設立したのが大東興業である。角正太郎が同年当時、滋賀県草津市および同県野洲郡守山町(現在の同県守山市)に経営していた映画館は、草津映画劇場(草津市本町2丁目、かつての大正座)、草津第二映画劇場(草津市大路井町、のちの草津シネマハウス)、守山映画劇場(守山町大字吉身)の3館で、ほかにも三重県上野市(現在の同県伊賀市上野地区)には上野映画劇場(丸の内23番地)を経営していた。(大東興業 フレッシュアイペディアより)
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カフェー・プランタンから見た銀座
カフェー・プランタン()は、かつて存在した日本の飲食店である。1911年(明治44年)、銀座に開業し、「日本初のカフェ」とされる。(カフェー・プランタン フレッシュアイペディアより)
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やなぎ (ゲイバー)から見た銀座
戦後初のゲイバーで、後に六本木にゲイバー「吉野」を出す吉野寿雄(吉野のママ)や、銀座にゲイバーを出す青江忠一(青江のママ)が働いていた。1955年(昭和30年)には銀座8丁目にも出店し、そこを本店とした。(やなぎ (ゲイバー) フレッシュアイペディアより)
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ネオンサインから見た銀座
ネオンサインはフランスで開発され、1912年にパリ万国博覧会で公開されたのが最初(ただの理容店だったとの説あり)とされ、特許を取得した開発者のジョルジュ・クロードは1915年に「クロードネオン社」を設立し、ヨーロッパやアメリカで販売した。日本国内での最初の設置は谷沢カバン店(東京都中央区銀座/現タニザワビル“銀座タニザワ”本店・1918年?)、白木屋大阪支店(大阪市中央区備後町/現第二野村ビルディング・1925年?)、日比谷公園(東京都千代田区・1926年?)と諸説ある。近年はLED照明など新しい光源も登場し急速に普及しているが、色の鮮やかさ形状の自由さなどの利点からネオンサインはなお健在である。(ネオンサイン フレッシュアイペディアより)
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元町通から見た銀座
元町通は東西1.2kmにわたる神戸元町商店街の横断する、元町地域の中心をなす町丁である。「元町」とは神戸の中でも西国街道に沿った元々の町であったことを意味し、かつての街道沿いが現在の商店街となっている。元町は港と鉄道とを結ぶ最短距離にあり、外国人居留地とも隣接していたため、明治初期から地の利を得て商店街として発展した。商店街の東西にデパートが立地するようになり、大正から昭和初期にかけて元町が神戸の中心商業地としての最盛期を迎えた。神戸の元町は東京の銀座や大阪の心斎橋筋と並び称され、銀座の「銀ブラ」に対し、「元ブラ」という言葉が生まれる程の有名な異国情緒あふれる商店街であった。しかし戦後は市役所の移転に伴い三宮に神戸の商業の核心としての座を奪われることとなり、デパートも元町通内から撤退した。(元町通 フレッシュアイペディアより)
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