
電通テック本社ビルから見た銀座
1933年(昭和8年)、電通は関東大震災により焼失した銀座7丁目の社屋の跡地に電通銀座ビルを竣工し、丸の内の仮住まいの社屋から本社機能を移した。この建物は当時の建築事情からみて大規模なものであったが、戦後の業容拡大により手狭になりつつあった。のちに5代目電通社長に就任した日比野恒次は、1963年2月8日の就任あいさつにおいて「本館(電通銀座ビル)には社員の半数しか収容できず、周辺に借りた6ヶ所のビルに分散し、経費の無駄と連絡の不便さが生じている」と述べている。(電通テック本社ビル フレッシュアイペディアより)