129件中 31 - 40件表示
  • 長谷川穂積

    長谷川穂積から見たボブ・アラム

    減量苦から2階級上のフェザー級への転向も示唆していたが、この頃、フェザー級ではプロモーターのボブ・アラムがWBOのファン・マヌエル・ロペスとWBAのユリオルキス・ガンボアの対戦をまとめようとしており(実現には至らなかった)、長谷川にバンタム級タイトルを保持させたまま、その相手として対戦交渉がまとまりそうな選手はいなかった。フェルナンド・モンティエル陣営とは2009年に一度合意に至っており、これを再交渉してバンタム級残留での事実上の統一戦が決定に至るのだが、長谷川は「自分のファイトマネーを削ってもいいから」とその対戦実現を訴え、「それもオレが10度防衛できたからこそ言えることです」とも話していた。プロモーターの本田は「その熱意に応えなければ。実際、ファイトマネーを下げるなんてことはできませんけど」と話し、モンティエル招聘のために5,000万円を支払ったとも言われる。『ボクシング・マガジン』2010年4月号は「日本ボクシング界の浮沈をかけた大一番」と書き、本田は「長谷川くんに勝負をかけてもらいたい。私にとってももちろん勝負です」と気迫をこめていた。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

  • 長谷川穂積

    長谷川穂積から見たジョニー・ゴンサレス

    2011年4月8日、神戸ワールド記念ホールでフェザー級王座初防衛戦。指名挑戦者で元WBO世界バンタム級王者でもあるWBC世界同級1位ジョニー・ゴンザレス(メキシコ)と対戦。初回から激しい打ち合いに終始したが、4回、挑戦者の右フックを浴びダウン。立ち上がったものの、レフェリーストップとなり58秒TKO負け。王座から陥落した。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

  • 長谷川穂積

    長谷川穂積から見た徳山昌守

    試合後の控え室で、当時WBCスーパーフライ級王者徳山昌守から挑戦状を渡された。しかし、長谷川は海外進出を強く希望していたため実現しなかった。結果、徳山は引退を迎えることになった。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

  • 長谷川穂積

    長谷川穂積から見た勇利アルバチャコフ

    2009年7月14日、前回防衛戦と同じ神戸・ワールド記念ホールで4位ネストール・ロチャ(アメリカ/21勝(7KO)1敗)を相手に9度目の防衛戦。初回2分過ぎ、左右のコンビネーションから右フックで最初のダウンを奪うと、何とか立ち上がった相手に更に連打を浴びせ、程なくして2度目のダウン。ここでも立ち上がったものの、レフェリーストップが掛かり、2分28秒TKO勝ち。これにより長谷川は勇利アルバチャコフ(ロシア/協栄ジム)と並び、世界王座連続防衛・国内記録2位タイを記録すると同時に、具志堅用高(協栄ジム)以来となる世界王座4連続ノックアウト防衛(ちなみに具志堅は6連続ノックアウト防衛を記録している)という日本人世界王者として2人目の快挙を達成。さらに、2戦連続初回KO防衛はバンタム級世界戦史上初の快挙。ちなみにこの試合当日の長谷川の体重は、約60kgだった。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

  • 長谷川穂積

    長谷川穂積から見た本田明彦

    長谷川の世界タイトルマッチでは全て帝拳プロモーションの本田明彦会長がプロモーターを務めており、真正ジムの山下会長は帝拳ジムでJBCのライセンスを取得しており帝拳と深いつながりがある。また、帝拳ジム所属の粟生隆寛、ホルヘ・リナレスらとは仲が良く、一緒にハワイ合宿に行くなど切磋琢磨している。特に粟生は長谷川にとって弟分のような存在である。(も参照)長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

  • 長谷川穂積

    長谷川穂積から見たホルヘ・アルセ

    前述のように念願のアメリカのラスベガスへの進出を実現するべく、7度目の防衛戦の相手としてアメリカでも知名度の高いホルヘ・アルセ、アレクサンデル・ムニョスといった強豪選手にラスベガスでのタイトル戦のオファーを出していたが、アルセは母国メキシコでの対戦に固執し、ムニョスは「長谷川には勝てない」と対戦を拒否したため、念願のラスベガス進出は持ち越しとなった。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

  • 長谷川穂積

    長谷川穂積から見た玉越強平

    兵庫県立多可高等学校全日制を2年で中退後(兵庫県立西脇北高等学校定時制に編入して19歳で卒業)に千里馬神戸ジムに入門。本格的にボクシングを始める。プロテストの一度目は体調不良もあり不合格となったが、2度目の受験で合格し、1999年11月22日にプロデビュー。4回戦時代は2度の判定負けを経験。一時期スーパーバンタム級で試合した経験も有する。同い年の同僚(山下の高校の後輩で自身と同じく山下の担当選手)玉越強平と切磋琢磨し移籍した現在も親友。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

  • 長谷川穂積

    長谷川穂積から見た熟山竜一

    2002年10月27日、まだノーランカーだったが、日本バンタム級4位の熟山竜一にフルマークの10回判定勝ちを収めて注目を集めるようになる。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

  • 長谷川穂積

    長谷川穂積から見たシモーネ・マルドロット

    2008年1月10日、大阪府立体育会館第一競技場に於いて、欧州バンタム王者でありWBC世界同級1位のシモーネ・マルドロット(イタリア/26勝(9KO)1敗)を挑戦者に迎え5度目の防衛戦に臨んだ。前述のジム移籍問題があったため、8か月ぶりの試合となった。試合は序盤、長谷川が右目上を大きくカットし流血するというアクシデントに見舞われた。中盤以降は王者、挑戦者の両者共に譲らず激しい打撃戦を繰り広げた。右目上をカットした長谷川は、要所で的確に有効打を決め、確実にポイントを集めた。最終12ラウンドでは両者が真っ向から打ち合い、世界戦に相応しい好試合となった。試合は長谷川が大差の判定勝ちを収め、日本人ボクサーで初めて世界バンタム級王座を5度防衛することに成功した。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

  • 長谷川穂積

    長谷川穂積から見た西岡利晃

    2005年4月16日、20戦目で世界初挑戦。日本武道館で行われたダブル世界戦の1試合(もう1試合は新井田豊のWBA世界ミニマム級王座2度目の防衛戦)でWBC世界バンタム級王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ/47勝(33KO)1敗2分)に挑む。ウィラポンは1998年12月に辰吉丈一郎を破って王座獲得。その後、辰吉との再戦にも勝利し、さらに西岡利晃の挑戦も4度退け、この試合が15度目の防衛戦。試合は長谷川は序盤から有効打を的確に当て、4回までリードを奪っていく。しかし、ウィラポンも王者の意地を見せ、試合の中盤を支配した。終盤、長谷川はスタミナ切れを起こし始めたウィラポンを攻め立て、10回にはウィラポンをグラつかせた。最終12回まで壮絶な打ち合いを展開し、3-0の判定勝ち。世界王座奪取に成功した。この試合は2005年度年間最高試合に選ばれた。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

129件中 31 - 40件表示

「長谷川穂積」のニューストピックワード