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    長谷川穂積から見たジェス・マーカ

    2003年5月18日、ジェス・マーカ(フィリピン/42勝(17KO)17敗5分)を12回判定に降し、OPBF東洋太平洋バンタム級王座を獲得。その後、3度の防衛に成功し、2004年12月20日に王座を返上。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

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    長谷川穂積から見たビック・ダルチニアン

    この試合の1か月前にはWBA・WBC・IBF世界スーパーフライ級統一王者ビック・ダルチニアンがWBCを通じて長谷川に正式な対戦オファーを出していた。これはダルチニアンが7月11日にIBF世界バンタム級王者ジョゼフ・アグベコに挑戦することが決定しており、長谷川が防衛に成功し、ダルチニアンがアグベコに勝ったら、WBC・IBF世界バンタム級王座統一戦としてラスベガスで対戦するというオファーだった。IBFを世界王座団体と認定していない日本ボクシングコミッションも「世界王座統一戦に限り、未公認団体王者との対戦を認める」という意向を表明した。しかし、ダルチニアンがアグベコに敗れてしまったため、この対戦は消滅した。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

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    長谷川穂積から見たクリスチャン・ファッシオ

    2008年6月12日、日本武道館に於いて、WBC世界同級9位のクリスチャン・ファッシオ(ウルグアイ/14勝(9KO)2敗)を挑戦者に迎え6度目の防衛戦に臨んだ。第1Rのゴングから長谷川が積極的にパンチを当て、ファッシオを圧倒すると、続く第2R、カウンターの左ストレートがヒットし、ファッシオからダウンを奪う。ファッシオは何とか立ち上がったものの、長谷川の猛攻は止まらず、2度目のダウンを奪ったところでレフェリーが試合を止めた。長谷川の世界戦ノックアウト勝ちは、2006年3月の2度目の防衛戦以来。連続防衛記録を6と伸ばすと共に、試合終了後、「次はラスベガスで防衛戦をやりたい」と長谷川はかねてから希望している海外進出への意欲を滲ませた。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

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    長谷川穂積から見たユリオルキス・ガンボア

    減量苦から2階級上のフェザー級への転向も示唆していたが、この頃、フェザー級ではプロモーターのボブ・アラムがWBOのファン・マヌエル・ロペスとWBAのユリオルキス・ガンボアの対戦をまとめようとしており(実現には至らなかった)、長谷川にバンタム級タイトルを保持させたまま、その相手として対戦交渉がまとまりそうな選手はいなかった。フェルナンド・モンティエル陣営とは2009年に一度合意に至っており、これを再交渉してバンタム級残留での事実上の統一戦が決定に至るのだが、長谷川は「自分のファイトマネーを削ってもいいから」とその対戦実現を訴え、「それもオレが10度防衛できたからこそ言えることです」とも話していた。プロモーターの本田は「その熱意に応えなければ。実際、ファイトマネーを下げるなんてことはできませんけど」と話し、モンティエル招聘のために5,000万円を支払ったとも言われる。『ボクシング・マガジン』2010年4月号は「日本ボクシング界の浮沈をかけた大一番」と書き、本田は「長谷川くんに勝負をかけてもらいたい。私にとってももちろん勝負です」と気迫をこめていた。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

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    長谷川穂積から見たエリック・モレル

    2009年12月18日、神戸・ワールド記念ホールで10位にランクされるアルバロ・ペレス(ニカラグア)を相手に10度目の防衛戦。なお、この試合は当初、元WBA世界フライ級王者エリック・モレル(プエルトリコ)を挑戦者に迎えて行われることになっていたが、モレルが過去に刑事事件で逮捕歴があることが判明。入管難民法により入国が認められない可能性が生じたため、対戦相手がペレスに変更となった。試合は序盤から両者共に積極的にパンチを出し合う戦いとなった。そして、迎えた第4ラウンド、長谷川が体勢をやや崩しながらのショートレンジでの左ストレートをペレスの顔面に2発続けて放つと、ペレスが前のめりにダウン。2分38秒にレフェリーがカウントを途中で中止し、試合をストップ。これで5試合連続KO防衛となり、具志堅用高以来、日本人2人目となる同一世界王座連続10度防衛を果たした。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

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    長谷川穂積から見たシンピウィ・ベトイェカ

    2007年5月3日、有明コロシアムにて、WBC世界4位のシンピウェ・ベチェカ(南アフリカ/16勝(9KO))と対戦。史上初となる日本vs.南アフリカの世界戦対決だったが、長谷川が判定勝ちして、4度目の防衛を飾った。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

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    長谷川穂積から見たジョゼフ・アグベコ

    この試合の1か月前にはWBA・WBC・IBF世界スーパーフライ級統一王者ビック・ダルチニアンがWBCを通じて長谷川に正式な対戦オファーを出していた。これはダルチニアンが7月11日にIBF世界バンタム級王者ジョゼフ・アグベコに挑戦することが決定しており、長谷川が防衛に成功し、ダルチニアンがアグベコに勝ったら、WBC・IBF世界バンタム級王座統一戦としてラスベガスで対戦するというオファーだった。IBFを世界王座団体と認定していない日本ボクシングコミッションも「世界王座統一戦に限り、未公認団体王者との対戦を認める」という意向を表明した。しかし、ダルチニアンがアグベコに敗れてしまったため、この対戦は消滅した。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

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    長谷川穂積から見たファン・マヌエル・ロペス

    減量苦から2階級上のフェザー級への転向も示唆していたが、この頃、フェザー級ではプロモーターのボブ・アラムがWBOのファン・マヌエル・ロペスとWBAのユリオルキス・ガンボアの対戦をまとめようとしており(実現には至らなかった)、長谷川にバンタム級タイトルを保持させたまま、その相手として対戦交渉がまとまりそうな選手はいなかった。フェルナンド・モンティエル陣営とは2009年に一度合意に至っており、これを再交渉してバンタム級残留での事実上の統一戦が決定に至るのだが、長谷川は「自分のファイトマネーを削ってもいいから」とその対戦実現を訴え、「それもオレが10度防衛できたからこそ言えることです」とも話していた。プロモーターの本田は「その熱意に応えなければ。実際、ファイトマネーを下げるなんてことはできませんけど」と話し、モンティエル招聘のために5,000万円を支払ったとも言われる。『ボクシング・マガジン』2010年4月号は「日本ボクシング界の浮沈をかけた大一番」と書き、本田は「長谷川くんに勝負をかけてもらいたい。私にとってももちろん勝負です」と気迫をこめていた。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

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    長谷川穂積から見た仲里繁

    2010年4月30日、日本武道館で11度目の防衛戦。WBO世界同級王者フェルナンド・モンティエル(メキシコ)との事実上の統一戦に挑む。モンティエルはWBOで3階級(フライ級、スーパーフライ級、バンタム級)制覇を果たしている強豪。なお、WBOがJBC非公認の統括団体である事情から、この試合は長谷川が勝った場合はWBC王座防衛のみ(WBO王座は獲得とはならず空位に)、一方、モンティエルが勝った場合はWBC・WBO王座統一(WBO王座防衛と同時にWBC王座獲得)という変則ルールで行われることになった。試合は序盤から長谷川が優位に進めていたが、4回終了間際、モンティエルの左フックをまともに浴び大きくグラつくと、その後の連打でダウン寸前に陥る。そして、ラウンド終了のゴングとほぼ同時(2分59秒)にレフェリーストップが掛かりTKO負け。この瞬間、5年間保持してきた世界王座から陥落した。試合後の控え室では涙をこぼしながらも気丈に会見に応じ、会見後に会場を去る際は報道陣から拍手が送られた。なお、この試合は12月28日発表の2010年度ボクシング年間表彰で年間最高試合賞を受賞(国内ジム所属選手が敗れた世界戦としては2003年のWBC世界スーパーバンタム級「オスカー・ラリオス対仲里繁」戦以来7年ぶり)。さらに、年明け後の2011年1月3日にはWBCから2010年の「最も劇的な試合」にも選ばれた。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

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    長谷川穂積から見た定時制

    兵庫県立多可高等学校全日制を2年で中退後(兵庫県立西脇北高等学校定時制に編入して19歳で卒業)に千里馬神戸ジムに入門。本格的にボクシングを始める。プロテストの一度目は体調不良もあり不合格となったが、2度目の受験で合格し、1999年11月22日にプロデビュー。4回戦時代は2度の判定負けを経験。一時期スーパーバンタム級で試合した経験も有する。同い年の同僚(山下の高校の後輩で自身と同じく山下の担当選手)玉越強平と切磋琢磨し移籍した現在も親友。長谷川穂積 フレッシュアイペディアより)

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