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  • 古田敦也

    古田敦也から見た阿部慎之助阿部慎之助

    正捕手として日本プロ野球名球会入りしているのは野村克也・古田・谷繁元信・阿部慎之助の4人のみである。野村は古田について、「初めてキャンプで見たときから、捕球や二塁への送球は天才的で、肩も強かった。当初はスカウトから『打撃には目をつぶってください』と言われたが、もともと頭のいい子だったから、投手の配球を読むことで上達し、2年目には首位打者も獲得した」と振り返り、賞賛している。また、古田の性格については「大変強気で自信家、そして目立ちたがりのところもある」と分析し、「捕手の本能も持っているが、それと同じくらい投手に近い考えもある」珍しいタイプと評している。古田敦也 フレッシュアイペディアより)

  • 澤村拓一

    澤村拓一から見た阿部慎之助阿部慎之助

    10月のドラフト会議では、同じ中大出身の阿部慎之助・亀井義行の活躍を見て入団を希望し、相思相愛とも言われた読売ジャイアンツから単独1位指名を受け、記者会見では喜びの涙を流した。指名直後の会見で背番号18を希望したが、10月30日に挨拶に訪れた球団代表の清武英利から「沢村(栄治)さんを1つ超えるという意味で、15を背負ってほしい。18は力で勝ち取ってもらいたい」と話したが、結果的ににFA権を行使して移籍した杉内俊哉に18が与えられた(沢村栄治の背番号14は巨人の永久欠番である)。なお、ドラフト直前にはスポーツ報知やスポーツニッポンなどが中日ドラゴンズとの競合を予想していた。日刊ゲンダイによれば中日は入団拒否のリスクを考えて当日のスカウト会議で澤村指名を見送り大野雄大の単独指名に切り替えたという。澤村拓一 フレッシュアイペディアより)

  • 内海哲也

    内海哲也から見た阿部慎之助阿部慎之助

    最優秀バッテリー賞:1回 (2012年、捕手:阿部慎之助内海哲也 フレッシュアイペディアより)

  • 掛布雅之

    掛布雅之から見た阿部慎之助阿部慎之助

    習志野高2年生時には石井好博監督のもと、四番打者、遊撃手として夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東関東大会決勝で優勝候補筆頭の銚子商と対戦。根本隆投手から先制のきっかけとなる安打を放ち、2-0で快勝。しかし甲子園では1回戦で東洋大姫路高に敗退(東洋大姫路高にはのちに阪神でチームメイトとなる山川猛がおり、この試合で満塁本塁打を放った)した。3年生時の夏は県予選準々決勝で、エース古屋英夫を擁する木更津中央に、延長11回の熱戦の末1-2xでサヨナラ負け、甲子園には届かなかった。同期で、一緒にクリーンアップを打っていたのは、巨人・阿部慎之助の父である。当時、掛布は竹刀の袋にバットを入れて毎日自宅に持ち帰っていたと、2学年下の小川淳司(1975年夏優勝投手)は述べている。掛布雅之 フレッシュアイペディアより)

  • 鶴岡一成

    鶴岡一成から見た阿部慎之助阿部慎之助

    移籍後は、2008年のセントラル・リーグクライマックスシリーズで本塁打を放つなど、日本シリーズ出場に貢献。埼玉西武ライオンズとの日本シリーズでは、右肩の故障により守備につけなかった阿部慎之助に代わり、全試合出場した。鶴岡一成 フレッシュアイペディアより)

  • 松井秀喜

    松井秀喜から見た阿部慎之助阿部慎之助

    は開幕前、巨人がビジター用ユニフォームの胸ロゴを「TOKYO」から「YOMIURI」に変更したことについて、「なぜ巨人の伝統を大事にしないのかなぁ」と松井がコメントしたとスポーツ報知が報じ、オーナーの渡邉恒雄が激怒するという騒動があった。記事を執筆した記者の広岡勲(現在は松井の専属広報)が巨人担当を外れることで事態は収拾した。「日本一」「三冠王」の2つを目標に掲げて10年目のシーズンをスタート。開幕後間もない4月13日にFA権を取得。7月9日に黒田博樹から通算300号本塁打を放つ。28歳0ヶ月での到達は王貞治の27歳3ヶ月に次ぐ史上2番目の年少記録であり、1200試合目での達成は史上6番目の速さであった。また、8月1日には4番打者としての連続出場を363試合に伸ばし、石井浩郎の記録を抜き当時の単独1位(後に、金本知憲が更新)となった。オールスターゲーム前までは、前年同様打球が上がらず76試合で18本塁打だったが、後半戦は64試合で32本塁打という驚異のペースで打ち続け、自己最多、史上8人目の50本塁打を記録する。セ・リーグでは1985年のランディ・バース以来17年ぶり、日本人では1986年の落合博満以来16年ぶり、巨人では同じく1977年の王貞治以来の25年ぶりの快挙となった。ペタジーニに9本差をつけた50本目の本塁打は2002年の本拠地最終戦の対ヤクルト戦(東京ドーム)で記録。7・8月と2ヶ月連続で月間MVPを受賞。9月7日の広島戦でプロ野球新記録となる5年連続100得点を記録した。シーズン終盤までは打率3割5分台を維持し、三冠王目前だったが、シーズン終盤に調子を落とし、首位打者争いで福留孝介にタイトルを譲った。打率、本塁打、出塁率では自己最高の成績で、本塁打王、打点王、最高出塁率、シーズンMVPを獲得した。なお、巨人ではこの年の松井を最後に日本人選手の本塁打王を獲得した選手は出ていない。また、巨人の日本人左打者の40本塁打以上の選手及び打点王は2010年に阿部慎之助が44本塁打を記録、2012年に打点王を獲得するまで現れなかった。松井秀喜 フレッシュアイペディアより)

  • ランディ・メッセンジャー

    ランディ・メッセンジャーから見た阿部慎之助阿部慎之助

    には、阪神への在籍年数が5年に達した。同球団の外国人投手としてはウィリアムスに並ぶ長さである。レギュラーシーズンでは、4月29日の対広島戦から5月17日の対DeNA戦にかけて、甲子園球場での先発登板で3試合連続完封勝利を記録した。阪神の投手による本拠地での公式戦3試合連続完封勝利は、1962年・1966年の村山実、1965年のジーン・バッキーに次いで3人目である。9月2日の対DeNA戦(甲子園)では、8回3失点の12奪三振で勝利投手になるとともに、シーズン通算の奪三振が201に到達。この奪三振数は、2リーグ分立()以降のNPBの球団に在籍した外国人投手としての最多記録である。また、日本人投手を含めたセントラル・リーグでのシーズン200奪三振は、井川慶が阪神時代のに記録して以来10年振りの達成であった。結局、レギュラーシーズンでは13勝で自身初の最多勝利、226奪三振で2年連続最多奪三振投手のタイトルを獲得。ただし、13勝での最多勝利はリーグ史上最少記録であった。チームのシーズン2位で迎えたポストシーズンでは、巨人とのクライマックスシリーズ ファイナルステージで第3戦に先発。初回に阿部慎之助にCSでは巨人唯一の先制適時打を打たれ、3回には亀井善行にソロ本塁打を打たれたものの得点圏の場面では初回の阿部以外に得点を許さず、5回2失点の好投を見せた。最終的にチームは6回に同点に追いつき、7回に勝ち越しそのまま逃げきって勝利。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでも、第1戦と第5戦で先発を任された。かつての同僚であったスタンリッジと投げ合った甲子園での第1戦では勝利投手になったものの、チームの1勝3敗で迎えた福岡ヤフオク!ドームでの第5戦では、味方打線の貧打で好投が報われないままソフトバンクのシリーズ制覇を許した。ランディ・メッセンジャー フレッシュアイペディアより)

  • 赤星憲広

    赤星憲広から見た阿部慎之助阿部慎之助

    ''は年初から調子が悪く、肩の痛みや腰部のヘルニアに苦しんだ。オープン戦には肩と腰に痛み止めの注射を打って出場した。4月10日の試合後に腰の状態が悪化し、自ら登録抹消を申し出た。復帰後体調の悪化は全身におよび、腰のほか両膝と肩にも痛み止めの注射を打って出場した。4月4日、開幕2試合目の対ヤクルト戦で球団新記録となる通算351盗塁を達成。5月13日、出場登録日数が8年となり、FA権を取得した。8月2日の対巨人戦(阪神甲子園球場)で本塁への突入時に阿部慎之助捕手と接触し、左足を負傷(左下腿筋挫傷)。10日間欠場した。9月12日、甲子園球場で行われた対横浜ベイスターズ戦で内川聖一が打った右中間への飛球にダイビングキャッチを試み、頸椎椎間板ヘルニアが悪化すると同時に中心性脊髄損傷を負った。負傷直後は手足が動かなくなったほどの重症で、赤星はトレーナーに背負われてグラウンドから退場し、救急車で西宮市内の病院へ搬送された。赤星は手足が動かないことを自覚した時、「このまま戻らないんじゃないか」と思ったという。間もなく足は動くようになったものの、腕に深刻なダメージを受けた。感覚が鈍く、思うように動かすことができず、しかも何かに触れると激痛が走る症状に襲われた。医師は赤星に対し、指が以前のように動かせなくなる後遺症が残る可能性を指摘した。赤星によると日常生活に影響はないものの、右手親指と小指の痺れはその後も残っているという。赤星は「まだ野球がやりたい。来年もプレーする」という思いを抱きつつ、痛みに耐えながら手足の指を一本ずつ動かすところからリハビリを開始した。10月12日にリハビリの場所を阪神鳴尾浜球場に移した頃には60 kgあった握力が30 kgほどに戻っており、赤星は翌11月からユニフォームを着てリハビリを行う予定を立てた。しかし10月31日に球団側は引退を勧告。この時赤星は「引退しなさい。クビです」という、引退通告のニュアンスを感じ取ったという。赤星には「いくらなんでも1か月で結論を出すのは早すぎるだろう」という思いがあり「1年は様子を見てほしい」と猶予を求めた。赤星は診察した医師が現役続行は厳しいという見解を球団側に伝えていたことを知り、これを覆す見解を求めて全国の医院を巡ったがかえって症状の深刻さを知らされる羽目になり、「復帰する怖さみたいなもの」を感じるようになった。頸部を映したMRI画像を見たところ、「明らかに変形してグチャグチャ」になっていたという。11月4日には予定通りユニフォームを着てグラウンドに立ちキャッチボールなどを行ったが、8日に球団側と行った2度目の会談でも「大きなリスクを抱えた現状では契約できない」旨を通告された。11月16日、球団トレーナーの石原慎二に紹介された医師から、脊柱管を人工骨で広げ頸部脊柱管狭窄症は改善することで脊髄へのダメージを緩和できるようにすれば復帰は可能という診断を受け、そのことを球団側に伝えたが「いくら可能性があっても100%でない限り、その手術に賭けることはできない」と受け入れられなかった。この時赤星はそれまでの会談の内容から「絶対に球団の意見は変わらない」と予測していて、「やっぱりな…変わるわけがない」と感じた。赤星は球団側の姿勢について、「こちらの意見を聞いて考えようという姿勢は、僕には感じとれなかった」と述べている。赤星によると、医師から「今度やってしまったら不随の可能性がある。最悪、命の危険もある」と言われたことが引退を決意した要因の一つになったという。赤星はプロ入り後、「シーズンは144試合ある中で、プロとして大切なことは常に70パーセントぐらいの力をコンスタントに出すこと。でも僕は、みんな70パーセントの力を出すときに、100パーセントじゃないと勝負できない」という思いで試合に臨んでいた。赤星は「危険なプレーをしなければ万が一のことは起こらない」とも考えたものの、「100%の力、100%のパフォーマンス、100%の気持ちで試合に臨めるかといったら、どこかでセーブしないといけない自分がいたり、次にやってしまったらという恐怖感を持ったまま試合に臨まないといけない」「全力プレーができない状況で野球を続けるのは無理」という心境に至った。赤星はかねてから自身の引退について、「やれることはやりきる」「やりきれなくなったときが、現役を退くタイミング」と述べていた。12月2日、赤星は球団側に引退を申し入れた。赤星によると、前述のように「あと1年ぐらい様子を見てくれてもいいんじゃないか」という思いが球団に対してあり、自由契約となる選択肢も頭にあったが、最終的には阪神で野球人生を終えるという気持ちを全うさせることを選んだという。同月9日に西宮市内で記者会見を開き、引退を発表。会見において赤星は「ケガさえなければ来年もレギュラーでやっていく自信はあった。まだまだ若い選手に負けない気持ちもある。まだまだできるという気持ちもあった」「完全燃焼した気持ちはない」と述べた。赤星は負傷を招いたプレーについて、「今でも夢に出てくる」としつつ、「飛び込んだことに後悔はありません。野球選手の本能としてやったことなので。それよりも、もう少し寄っておけば捕れたのに…と考えてしまう」と振り返った。赤星は「あの最後のプレーで、自分が本当に野球人だと思えた」とも述べている。赤星は9年間のプロ生活について、「野球のために人生を全部使ってきたし、いろいろなことを犠牲にしてきた。人生のすべて」と振り返っている。生涯通算.295の打率については、「予定外でした。プロでこんなに打てるとは思ってなかった」「自分の中では誇れる数字」と述べている。会見には絶対に泣かないという決意で望み、3度涙をこらえたという。会見終了後、阪神甲子園球場のセンター付近で車椅子の贈呈式を行った。赤星自身の意向により、引退試合は行われなかった。赤星憲広 フレッシュアイペディアより)

  • 阿部愼之助

    阿部愼之助から見た阿部慎之助阿部慎之助

    阿部愼之助 フレッシュアイペディアより)

  • マイク・マイヤーズ (左投手)

    マイク・マイヤーズ (左投手)から見た阿部慎之助阿部慎之助

    2005年シーズン終了と同時にフリーエージェントとなる。ニューヨーク・ヤンキースと2年契約を結ぶ。は62試合で防御率3.23を記録したが、左打者に打たれるケースが目立つようになった。ちなみにシーズンオフにメジャーリーグ代表として日米野球に参加したが、左打者である阿部慎之助にスリーランホームランを打たれている。翌は、55試合に登板して防御率2.66を記録していたが、同年8月にヤンキースから放出され、シカゴ・ホワイトソックスに移籍した。ホワイトソックスでは、17試合に登板したものの防御率11.20に終わり、シーズン終了後にフリーエージェントとなった。マイク・マイヤーズ (左投手) フレッシュアイペディアより)

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