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双大竜亮三から見た隠岐の海歩
2008年、初場所こそ5勝2敗と勝ち越すが、足の怪我の影響でその後3月場所から3場所連続で3勝4敗と負け越し、東幕下48枚目まで番付を下げる。この間に暴行死事件により高校・大学の後輩が逮捕されたこともあり相撲に集中できなくなり、一時は引退も考えたというが、それを立ち直らせた者もまた事件で有罪判決を受けた後輩であり「自分の分もがんばって関取になって欲しい」との言葉で相撲への熱意を取り戻した。2008年9月場所で6勝1敗の好成績を収め、その場所から2009年7月場所まで6場所連続で勝ち越しの好成績を収め、再び幕下上位に番付を上げる。自己最高位の西幕下筆頭で迎えた2009年7月場所では、3番目で前場所まで2場所十両を務めた福岡に敗れるも、それ以外の取組に全勝、幕下で自身5場所ぶり2回目、かつ優勝同点となる6勝1敗の好成績を収め、8人で争った優勝決定戦では準決勝で敗れたものの、7月29日の番付編成会議で9月場所での十両昇進が決まった。なお双大竜の四股名が暴行死事件を起こした前師匠15代時津風の現役時の四股名、双津竜と類似していることから現師匠である16代時津風は十両昇進とともに四股名の変更を検討していたが、双大竜は「偉大な横綱(双葉山)の名が入っている」として変更を希望せず、新十両になった際も四股名は変更されなかった。(双大竜亮三 フレッシュアイペディアより)
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大相撲平成29年11月場所から見た隠岐の海歩
10日目を終わって全勝は休場明けで初日から落ち着いた相撲で白星を重ねている白鵬を、星2つの差の2敗で平幕の北勝富士と隠岐の海が追うという展開で、白鵬の独走態勢となっていた。しかし、翌11日目白鵬は嘉風に全くいい所なく敗れ1敗に。しかし、2敗の2人はいずれも勝ったため1敗で白鵬、2敗で北勝富士・隠岐の海という展開に変わり、13日目までこの展開が続いた。そして14日目、平幕の2人が共に破れて白鵬が勝てば千秋楽を待たずに白鵬の40回目の優勝が決定するという展開になった。まず最初に2敗の隠岐の海は玉鷲戦を迎えた。しかし、隠岐の海の執念及ばず、玉鷲が叩き込みで勝利して隠岐の海は3敗に。その3番後、同じく2敗の北勝富士は阿武咲戦を迎えた。その取り組みでも阿武咲が押し出しで勝利して北勝富士も3敗に後退した。結果、この時点で1敗の白鵬と次点3敗の2人の差は2つとなり、結びの一番で白鵬が勝てば白鵬の40回目の優勝が決まるという展開になった。そして迎えた結びの一番、白鵬は遠藤との対戦になった。そして白鵬は押し出しで遠藤に勝利し、2場所ぶり40回目の優勝が千秋楽を待たずに決定した。翌千秋楽も白鵬は勝利し、優勝に花を添える14勝目を挙げた。(大相撲平成29年11月場所 フレッシュアイペディアより)
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旭天鵬勝から見た隠岐の海歩
2014年9月13日には40歳の誕生日を迎えて、昭和以降では1954年9月場所における名寄岩以来となる5人目、年6場所制となった1958年以降に初土俵を踏んだ力士としては史上初となる40歳の幕内力士となり、その翌日から開始された同年9月場所では、初日に隠岐の海を上手投げで破り、1954年9月場所千秋楽において名寄岩が増巳山に勝利して以来60年ぶりとなる40歳での幕内勝利を記録した。13日目には栃乃若を破って勝ち越しを決めて、昭和以降では1935年5月場所における能代潟と1941年5月場所における藤ノ里に続いて3人目、戦後および年6場所制となった1958年以降では史上初となる40歳代での幕内勝ち越しを記録した。千秋楽には寺尾を抜いて史上2位となる通算出場1796回を記録した。(旭天鵬勝 フレッシュアイペディアより)