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電子辞書から見たシャープ
日本国内市場では、シャープが1979年(昭和54年)11月に発売したポケット電訳機 (IQ-3000) が最初で、当時としてはかなり高価な39,800円だった。これは孫正義が学生時代に発明した自動翻訳機が元になっているともいわれる。IQ-3000は、英和約2800語、和英約5000語を収録していたが、技術的には電卓技術を応用したもので、その16桁×1行のモノクロ液晶画面に表示できたのはアルファベットとカタカナのみだった。内容も辞書というより単語集のようなものであり、単語帳機能付き電卓とでも呼ぶべき製品だった。当時はICメモリと液晶ディスプレイの製造コストが高かったために、安価な小容量の搭載メモリと小型の液晶画面が採用されたことで、辞書の収録語数は頭打ちになり、液晶画面の表示能力にも限界があった。(電子辞書 フレッシュアイペディアより)
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電子辞書から見たソニー
開発時の歴史的背景としては、まず1980年(昭和55年)にソニーとフィリップスが共同で策定した規格、CD-DA(音楽CD)用に開発された記憶媒体であるコンパクトディスク (CD) を、コンピュータの外部記憶媒体として利用するCD-ROMの仕様(イエローブック)が1983年(昭和58年)に提案されたことがあった。CD-ROMは、一枚当たりの容量が約600MBという、当時としては非常に大きな記憶容量を持ち、音楽CDと同じ生産ラインが使えるために安価に量産が可能であるという2つの利点があった。さらに、致命的な欠点とされていた「書き換え不可能」という特性を逆に利用して、データ集や出版物、それも大きな記憶容量を十分に生かせる、辞書や百科事典の記憶媒体として期待されていた。(電子辞書 フレッシュアイペディアより)
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電子辞書から見た三洋電機
WING規約から派生したもう一つの電子辞書フォーマットに、ソニー独自の電子ブック (EB) がある。富士通主導でEPWINGコンソーシアムが設立されたのと同じ年に、ソニーが中心となって、同様の団体である「電子ブックコミッティー」が組織され、電子ブックの普及活動が展開された。電子ブックは通常のCD-ROMとは違い、8cm CD-ROMをキャディーと呼ばれるケースに入れて、専用のハードウェア「電子ブックプレーヤー」で利用する形態をとる。最初の電子ブックプレーヤーは1990年(平成2年)にソニーから発売された「DATA Discman DD-1」で、後に三洋電機、松下電器産業からもプレーヤーが発売された。当初は、キャディーを取り外した状態のCD-ROMを直接パソコンなどで利用することは禁止されていたが、1994年(平成6年)に解禁され、フリーウェアの辞書検索ソフト(電子ブックビューアー)の登場も手伝って、パソコン用の電子辞書としても普及した。電子ブックプレーヤーの販売は2000年(平成12年)に終了した。(電子辞書 フレッシュアイペディアより)
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電子辞書から見たスマートフォン
2006年(平成18年)頃から2010年(平成22年)頃にかけてはモノクロ液晶からカラー液晶に移る過渡期だったと考えられる。そのほか、液晶ディスプレイの高精細化、手書き入力パッドやタッチパネル液晶の導入、多言語発音機能とテキスト読み上げ (TTS) 機能の搭載、動画コンテンツの収録、英語学習支援機能の搭載、ワンセグ機能の搭載など、多彩な特色を持つ製品が次々に開発された。しかしながら、スマートフォンの登場と辞書アプリの普及、およびインターネットの無料辞書サイトの台頭などにより、2008年(平成20年)以降は販売台数が右肩下がりである。一方で、そのような苦境にあっても、高校生・大学生向けの学習用電子辞書の需要は健在なようである。(電子辞書 フレッシュアイペディアより)
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電子辞書から見た孫正義
日本国内市場では、シャープが1979年(昭和54年)11月に発売したポケット電訳機 (IQ-3000) が最初で、当時としてはかなり高価な39,800円だった。これは孫正義が学生時代に発明した自動翻訳機が元になっているともいわれる。IQ-3000は、英和約2800語、和英約5000語を収録していたが、技術的には電卓技術を応用したもので、その16桁×1行のモノクロ液晶画面に表示できたのはアルファベットとカタカナのみだった。内容も辞書というより単語集のようなものであり、単語帳機能付き電卓とでも呼ぶべき製品だった。当時はICメモリと液晶ディスプレイの製造コストが高かったために、安価な小容量の搭載メモリと小型の液晶画面が採用されたことで、辞書の収録語数は頭打ちになり、液晶画面の表示能力にも限界があった。(電子辞書 フレッシュアイペディアより)
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電子辞書から見たフィリップス
開発時の歴史的背景としては、まず1980年(昭和55年)にソニーとフィリップスが共同で策定した規格、CD-DA(音楽CD)用に開発された記憶媒体であるコンパクトディスク (CD) を、コンピュータの外部記憶媒体として利用するCD-ROMの仕様(イエローブック)が1983年(昭和58年)に提案されたことがあった。CD-ROMは、一枚当たりの容量が約600MBという、当時としては非常に大きな記憶容量を持ち、音楽CDと同じ生産ラインが使えるために安価に量産が可能であるという2つの利点があった。さらに、致命的な欠点とされていた「書き換え不可能」という特性を逆に利用して、データ集や出版物、それも大きな記憶容量を十分に生かせる、辞書や百科事典の記憶媒体として期待されていた。(電子辞書 フレッシュアイペディアより)