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青木真也から見たDREAM JAPAN GP
2011年5月29日、DREAM JAPAN GPでリッチ・クレメンティと対戦。終始グラウンドを支配し、2R2分14秒、フェイスロックで一本勝ち。当初はヴィラミー・シケリムと対戦する予定だったが、シケリムのパスポート切れで試合は消滅。その後、ジェイミー・ヴァーナーとの対戦見込みが立っていたが消滅。5月16日にアントニオ・マッキーとの対戦が決定したことが発表されるも、5月20日にマッキーの欠場が発表。最終的にクレメンティが選ばれた。非常に対戦相手選びが難航した試合だった。(青木真也 フレッシュアイペディアより)
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青木真也から見た人間科学部
早稲田大学人間科学部でも柔道部に在籍。この当時から既にさまざまな格闘技に通じ、跳びつき腕ひしぎ十字固め・脇固め・スピニングチョーク・フットチョークなど、柔道においては特異な技の数々で勝利をものにしてきた。その結果全日本ジュニア強化選手となったが、競技柔道(講道館柔道)では投げ技による一本勝ちを重視する傾向があるため、青木のスタイルは講道館柔道の世界からは異端扱いをされ、結果青木はその格闘技観の違いから、「極」を重視した格闘技へと活躍の場を移すことを決意。総合格闘技にシフトするきっかけとなったのは中学・高校時代に桜庭和志が"グレイシーハンター"として強豪外国人選手を次々と破り、一気にブレイクした過程をリアルタイムで見ていたことである。大学の柔道部では反骨心を剥き出しにして、伝統を重視する指導者の意見にも耳を傾けず、上下関係を前提にして油断している先輩と組み合えばタップアウトしても緩めることなく技を極め続け、倒れ込んだ相手の手のひらを踏んづけることすらあった。柔道部で衝突を繰り返す青木をだれも制御できなくなり、監督から呼び出されてクビを宣告され、大学3年生の内に格闘家としてのプロデビューを果たした。(青木真也 フレッシュアイペディアより)