-
河越城の戦いから見た駿河国
しかし、氏綱が没し、跡を継いだ嫡男北条氏康は継承早々に一大危機を迎える。天文14年(1545年)7月下旬、今川義元が関東管領の上杉憲政と内通して背後から挙兵、駿河の北条領に侵攻する。氏康は駿河に出陣するものの武田氏までもが出陣してきたために状況は不利であり、更に在陣中に両上杉の大軍によって河越城が包囲されたという状況が知らされた。そのため10月下旬に武田晴信(信玄)の斡旋で義元に譲歩することで屈辱的ながらも和睦を成し遂げた(第二次河東一乱)。11月初旬には誓紙を交換した後に条件が履行され、氏康は挟撃されている絶体絶命の危機の中で西方を収め、関東方面へ転戦できる状況を得た。(河越城の戦い フレッシュアイペディアより)
スポンサーサイト