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  • 源重宗

    源重宗から見た駿河国駿河国

    源 重宗(みなもと の しげむね、生没年不明)は、平安時代後期の武将。清和源氏満政流。駿河守源定宗の子。母は権大納言藤原斉信女。子に重実、重長、重高、重時、重親らがある。官位は従五位下、佐渡守(『尊卑分脈』)。源重宗 フレッシュアイペディアより)

  • 中条満平

    中条満平から見た駿河国駿河国

    永享4年(1432年)、6代将軍足利義教は鎌倉公方足利持氏牽制のため、富士遊覧と称して多数の家臣を引き連れて駿河まで下向した。9月10日に出発し同月28日に帰京という日程であったが、帰京直後の10月、義教の怒りを買い、高橋荘及び尾張国海東郡の所領を没収された。高橋荘は義教の寵臣一色持信と西条吉良氏当主である吉良義尚に分け与えられ、海東郡は尾張国守護である斯波義淳に与えられた。満平の京都の邸宅は、侍所から検索を受けた上、没収となり、満平は高野山に遁世してしまった。更に申し開きのため、三河から上洛する途中であった父詮秀は、尾張の時宗道場において切腹を命ぜられ、供の者と一緒に自害して果てている。このような処分を受けたのは、詮秀が義教の代になってから一度も上洛せず、満平ばかりを在京奉公させて、富士遊覧の際も悪しき振舞(伺候しなかった)があったためだという。また、中条氏が日野義資と縁が深く、日野裏松家の排斥を考えた義教にとって邪魔な存在だったため粛清されたと考える見方もある。中条満平 フレッシュアイペディアより)

  • 小笠原氏興

    小笠原氏興から見た駿河国駿河国

    氏興は、今川義元に仕えていた。しかし、義元が桶狭間の戦いで尾張の織田信長に攻められ戦死したため、義元嫡子・今川氏真が家督を嗣ぐ。氏真は凡庸な当主だったために甲斐の武田信玄に甲相駿三国同盟を破棄されて駿河に攻められ、さらに三河の徳川家康までもが遠江に侵攻して来ると、氏興は家康に内応して主君氏真が籠城する掛川城を攻撃した。氏真はかなわず掛川城を撤退し、小田原の後北条氏の元に亡命した。小笠原氏興 フレッシュアイペディアより)

  • 水野忠善

    水野忠善から見た駿河国駿河国

    水野 忠善(みずの ただよし、慶長17年(1612年) - 延宝4年8月29日(1676年10月6日))は、江戸時代初期から前期の大名。下総国山川藩の2代藩主。駿河国田中藩、三河国吉田藩藩主。三河国岡崎藩の初代藩主。忠元系水野家2代。水野忠元の長男。正室は井上正就の娘。子は水野忠春(長男)、娘(京極高直正室)、娘(大給松平乗久正室)、娘(丹羽氏純正室)、娘(水野元知正室)、娘(片桐貞房正室)、娘(牧野康道正室)。従五位下、大監物。水野忠善 フレッシュアイペディアより)

  • 杉浦俊香

    杉浦俊香から見た駿河国駿河国

    天保15年(1844年)、駿河国府中の徳川家臣・今井家の第9代今井松宇の三男・今井高融として生まれる。明治35年6月(1902年)、静岡県安倍郡静岡東草深町3丁目の杉浦清の養父として分家し、東京市神田区三崎町3丁目にて杉浦家を継ぐ。兵庫県の聖地に篭り、哲学と日本画の研鑽に壮年期を過し、独自の日本画を創出し雅号を俊香と称す。杉浦俊香 フレッシュアイペディアより)

  • 大森頼春

    大森頼春から見た駿河国駿河国

    大森 頼春(おおもり よりはる、生年不詳?応仁3年1月18日(1469年3月1日))は室町時代の武将。大森頼明の子。幼名を与一。号は安楽斎。法号は道光。駿河国駿東郡の領主であったが、後に相模国足柄下郡に所領を与えられて小田原城を築城した。子に大森氏頼、憲頼がいる。官途名は信濃守。大森頼春 フレッシュアイペディアより)

  • 冷泉為和

    冷泉為和から見た駿河国駿河国

    駿河国・能登国・近江国など各地へ下向しているが、家領のあった地域を支配する今川氏との関係が深く、駿府での生活が最も長かった。今川氏より今川の名字の使用を許されたとも伝えられる。今川氏の依頼により、相模国の後北条氏や甲斐国の武田氏のもとに滞在し、在地の歌壇を指導している。今川氏は天文6年(1537年)に武田氏との間に甲駿同盟を結び後北条氏とは敵対しているが(河東の乱)、これ以後為和は駿河・甲斐間を頻繁に往復するようになり、今川氏の外交使節的立場の人間であったと考えられている。冷泉為和 フレッシュアイペディアより)

  • 朝比奈氏

    朝比奈氏から見た駿河国駿河国

    藤原北家の堤中納言兼輔の子孫たる堤公国の子・五郎国俊が、駿河国志太郡朝比奈郷(現在の静岡県藤枝市岡部町)を本貫とし、朝比奈氏を興すとされる(朝比奈家譜)なお彼の弟の公俊は岡部氏の祖になっている。朝比奈氏 フレッシュアイペディアより)

  • 安部元真

    安部元真から見た駿河国駿河国

    駿河の戦国大名今川氏に仕えていたが、今川義元の死後弱体化した今川氏の領土に甲斐の武田信玄が侵攻してくると(駿河侵攻)、元真は駿府で迎え撃つが敗れ自領に退散した。今川氏滅亡後は流浪した後に徳川家康に仕え、遠江伯耆塚城を任され、仇敵・武田氏と戦い、諸戦で戦功をあげた。安部元真 フレッシュアイペディアより)

  • 賀島長昌

    賀島長昌から見た駿河国駿河国

    父帯刀長重は元駿河今川義元の家臣で、主君義元と争い駿河を退去し、尾張の織田信長に仕えた。長昌も、父と同じく信長に仕えて、戦場で武功を立て尾張や美濃に知行を給された。天正10年(1582年)本能寺の変で主君信長が死去すると、妻の兄蜂須賀家政を頼って阿波に来た。家政より徳島城を預けられ、天正16年(1588年)7月24日死去。賀島長昌 フレッシュアイペディアより)

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