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  • 駿府城

    駿府城から見た駿河国駿河国

    駿府城(すんぷじょう)は、静岡県静岡市葵区(駿河国安倍郡)にあった城である。別名は府中城や静岡城など。駿府城 フレッシュアイペディアより)

  • 北条氏康

    北条氏康から見た駿河国駿河国

    天文14年(1545年)、駿河の今川義元は、関東管領・山内上杉憲政や扇谷上杉朝定(朝興の子)等と連携し、氏康に対し挙兵した。義元は、北条氏綱に奪われていた東駿河を奪還すべく攻勢をかけた。これを第2次河東一乱という。氏康は駿河に急行するものの、狐橋の戦いの小戦闘でも今川軍に押され、、吉原城・長久保城を自落させるなど、状況は不利であった。その在陣中、関東では山内・扇谷の両上杉氏が大軍を擁して義弟・北条綱成が守る河越城を包囲したという知らせが届き、東西から挟み撃ちにあった氏康は絶体絶命の危機に陥った。この窮状の中まずは片方を収めるべく、氏康は武田晴信の斡旋により、義元との和睦を模索。東駿河の河東地域を義元に割譲することで和睦する。後の武田氏を交えた甲相駿三国同盟の締結までは緊張が続いたが、その後は義元存命中の駿河進出はなかった。北条氏康 フレッシュアイペディアより)

  • 河越城の戦い

    河越城の戦いから見た駿河国駿河国

    しかし氏綱が没して後を襲った嫡男北条氏康は、継承して早々に一大危機を迎える。天文14年(1545年)7月下旬、今川義元が関東管領の上杉憲政と内通して背後から挙兵、駿河の北条領に侵攻する。氏康は駿河に出陣するものの武田氏までもが出陣してきたために状況は不利であり、更に在陣中に両上杉の大軍によって河越城が包囲されたという状況が知らされた。そのため10月下旬に武田晴信(信玄)の斡旋で義元に譲歩することで屈辱的ながらも和睦を成し遂げた(第二次河東一乱)。11月初旬には誓紙を交換した後に条件が履行され、氏康は挟撃されている絶体絶命の危機の中で西方を収め、関東方面へ転戦できる状況を得た。河越城の戦い フレッシュアイペディアより)

  • 徳川忠長

    徳川忠長から見た駿河国駿河国

    徳川 忠長(とくがわ ただなが)は、江戸時代初期の駿府藩主。江戸幕府第2代将軍徳川秀忠の三男。母は浅井長政の娘で正室の江。同母兄に第3代将軍・徳川家光。極位極官が従二位大納言で、領地が主に駿河国であったことから、通称は駿河大納言。徳川忠長 フレッシュアイペディアより)

  • 富士川の戦い

    富士川の戦いから見た駿河国駿河国

    富士川の戦い(ふじかわのたたかい)は、平安時代後期の治承4年10月20日(1180年11月9日)に駿河国富士川で源頼朝、武田信義と平維盛が戦った合戦である。治承・寿永の乱と呼ばれる一連の戦役の1つである。富士川の戦い フレッシュアイペディアより)

  • 静岡県

    静岡県から見た駿河国駿河国

    県域東西155km、南北118km。令制国の伊豆国、駿河国、遠江国の3国に相当する東西に広大な県であり、東西で住民の意識に違いが見られる。地域によって差異は認められるものの、県民に根付く県のシンボルとして富士山や伊豆半島、駿河湾、御前崎といったものが挙げられ、県旗もそれらに基づいてデザインされている。静岡県 フレッシュアイペディアより)

  • 大道寺周勝

    大道寺周勝から見た駿河国駿河国

    大道寺 周勝(だいどうじ かねかつ、??永禄5年(1562年)?)は、戦国時代の後北条氏の家臣。大道寺盛昌の嫡男。別名:重興(しげおき)。受領名は駿河守。通称は源六。大道寺周勝 フレッシュアイペディアより)

  • 廬原国造

    廬原国造から見た駿河国駿河国

    廬原国造(いおはらのくにみやつこ・いおはらこくぞう)は駿河国西部を支配した国造。五百原国造とも。廬原国造 フレッシュアイペディアより)

  • 沼田藩

    沼田藩から見た駿河国駿河国

    沼田は廃藩・天領となったが、元禄16年(1703年)1月11日、下総国舟戸藩から2万石で本多正永が入り、再び沼田藩が立藩。正永はさらに2万石を加増されて4万石の大名となる。その後、第3代藩主・本多正矩の代である享保15年(1730年)、駿河国田中藩へ移封される。享保17年(1732年)3月1日、常陸国下館藩から黒田直邦が3万石で入る。しかし第2代藩主・黒田直純の代である寛保2年(1742年)7月28日、上総国久留里藩へ移封となった。代わって老中であった土岐頼稔が駿河国田中藩から3万5,000石で入部する。第3代藩主・土岐定経の代である天明元年(1781年)12月、年貢増徴に反対した領民によって見取騒動が発生し、定経は領民の要求を受け入れることで解決した。沼田藩 フレッシュアイペディアより)

  • 岡部泰綱

    岡部泰綱から見た駿河国駿河国

    泰綱は駿河武士の中心人物であったとされ、父清綱の代に岡辺権守となり、泰綱の時に岡部氏を称した。鎌倉時代に駿河国志太郡岡部郷(現在の静岡県藤枝市岡部町)の地頭になり、鎌倉幕府との結びつきが強くなったという。子孫に岡部元信や岡部正綱らがいる。岡部泰綱 フレッシュアイペディアより)

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