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領土問題から見た蝦夷地
北海道(日本・ソ連) :1798年から1807年にかけて江戸幕府が天領蝦夷地とし併合(併合範囲には樺太、千島列島をも含む)。1869年には明治政府が北海道として編入した。第二次世界大戦末期、ヤルタ会談での極東密約(ヤルタ協定)により、ルーズベルトはスターリンに千島列島と樺太の領有を認める見返りにソ連の参戦を促す。広島、長崎への原爆の投下成功を背景として、ポツダム宣言受諾の際に後任のトルーマンは翻言して千島列島のソ連による領有を認めない事とし、それに対抗してスターリンは千島列島と北海道の北半分の割譲を要求し南樺太と千島列島から侵攻を開始。停戦は兵力不足と、スタフカからの指令による。背景には、ソ連自身が(日ソ中立条約を一方的に破棄し)ポツダム宣言へ参加し攻撃を開始した事があり、侵攻は日本の降伏文書調印まで継続された。なお、日ソ共同宣言により表面上は戦争状態の終結が謳われた一方で南樺太や北方領土含む千島列島の領有を既成事実化する動きは、ソ連解体後のロシア連邦に至るまで一貫して見られている。(領土問題 フレッシュアイペディアより)
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