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飯島勲から見た首相
飯島と福田の対立の発端は、小泉が首相に就任した2001年の終戦の日に靖国神社参拝を目指した際、参拝を是とする飯島と安倍晋三が首相官邸に不在の間隙を突く形で福田が小泉を説得。参拝を前倒しさせたことだとされる。この内幕を取材したジャーナリストの須田慎一郎によると、小泉は福田の、「唐家璇が終戦の日を外せば中国政府は問題視しない」とする説得を受け入れたものの、中国は最大限の糾弾を小泉に対し行い、小泉は福田に対する強い不信感をこのときに抱いたことを明らかにしている。他方、飯島と安倍はこのことをきっかけに関係を強めていったとされ、安倍が短期間で自民党幹事長、官房長官、首相に上り詰めた裏には、飯島との良好な関係が存在したこともその一因に挙げられる。(飯島勲 フレッシュアイペディアより)
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飯島勲から見た朝鮮民主主義人民共和国
第二次訪朝の際には、裏の交渉ルートである朝鮮総連・許宗萬(許は北朝鮮の最高人民会議代議員というもう一つの肩書きも有する)とのパイプを重視する飯島と、正規の外交ルートである田中均を中心とした日朝両外務省を重視する福田との間で対立が再燃。小泉が飯島の主張を重視したことにより、福田は官房長官を辞任した。一方で、この訪朝劇は自民党幹事長だった安倍との間でも軋轢を生む結果になり、小泉と安倍の関係が一時険悪化する(同年末頃には修復)。訪朝後、小泉は甘利明副幹事長代読の形で朝鮮総連に祝電を送っている。なお、飯島が内閣官房参与になった2013年に増元照明は飯島の第二次訪朝での態度について、「なぜ、被害者をまだ幽閉し返さない国家の、まだ国家ではなく集団ですね、頭目となぜ笑いながら握手できるのか」と批判し、「官邸の体制を締めるという意味ではあの方は適任なのかもしれませんが、朝鮮半島問題には関与していただきたくないというのが正直な気持です」と述べた。(飯島勲 フレッシュアイペディアより)
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飯島勲から見た中華人民共和国外交部
7月28日の講演で、7月13日から16日まで中国の北京を極秘訪問していたことを明らかにした。習近平国家主席に近い要人と会談した一方で、北朝鮮関係者との接触はなかったとしている。この訪中は日中首脳会談の地ならしが目的とみられるが、飯島は「個人の調査研究の一環の行動。プライベートだ」と述べている。なお中国外務省の洪磊・副報道局長は飯島が訪中ビザを申請したことは認めたものの、中国政府当局者との接触は否定した。(飯島勲 フレッシュアイペディアより)
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