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築地館 (映画館)から見た首都高速中央環状線
正確な時期は不明であるが1920年(大正9年)代にはすでに東京府北多摩郡王子町大字豊島137番地(現在の東京都北区豊島1丁目38番8号)に開館しており、帝国キネマ演芸や松竹キネマの上映館であった。同地は、現在では明治通りのカーブや首都高速中央環状線に囲まれる地域であるが、開館当時は「築地通り」(大字豊島字築地)と呼ばれるいわゆる三業地に隣接しており、「築地通り」と交差する同館前の通りは「築地館通り」と呼ばれた。1927年(昭和2年)に発行された『日本映画事業総覧 昭和二年版』によれば、同館は石井仲次郎の個人経営、観客定員数は444名と記載されているが、同所には同年当時の同館の興行系統については記されていない。当時の王子町には、同館のほか、日活・帝国キネマ演芸・マキノプロダクションの上映館であった王子萬歳館(王子町字王子330番地、経営・坂間好之助)、松竹キネマ・東亜キネマの上映館であったレコード館(王子町字王子柳町438番地、戦後の王子レコード劇場、経営・鈴木正)の合計3館が存在した。(築地館 (映画館) フレッシュアイペディアより)
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