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首都高速中央環状線から見た東京大学駒場地区キャンパス
大橋JCT-富ヶ谷出入口は、地上の山手通りが神山町交差点で急カーブしておりシールド工法では山手通り内に収まらない為、1990年の都市計画では東大駒場キャンパスを縦断して南へ直進する線形で計画された。その後、技術開発によりシールド工法でも山手通り内で建設できることになり、この区間でも山手通りの下を通るよう1999年に都市計画変更された。この時、すでに当初計画に沿った用地買収(地下にトンネルを建設する権利の取得)が始まっていたが、すでに支出した用地費が無駄になっても、変更した方が割安になると説明された。(首都高速中央環状線 フレッシュアイペディアより)
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首都高速中央環状線から見た国会 (日本)
1990年の都市計画決定では、中落合の換気塔は山手通り脇の公園に設置し、上下線に高低差を付ける予定だった。これは将来、関越自動車道と結ぶ高速練馬線とのジャンクションを建設する際に、支障がでないようにとの配慮しての設計であったが、公園内への換気塔の設置に対する住民の反対運動がおき、第118回国会(1990年)の建設委員会において、鈴木喜久子委員による反対を趣旨とした質疑に取り上げられた。そのため、中落合の換気塔を山手通り内に入れ、トンネルも上下線に高低差を付けない設計に変更され、1991年4月に都市計画変更された。(首都高速中央環状線 フレッシュアイペディアより)
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