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ノロから見た首里城
聞得大君は王家の女性(先代王の妻であることが多かった)から選ばれ、首里城内の10の御嶽と斎場御嶽を掌管し全国のノロたちを支配していたが、ノロへの任命辞令は国王から発せられていた。これは制度的にはあくまで国王が神女組織を支配していたことを示すものと考えられている。聞得大君の下には、それ以前からの有力な神女である(首里)阿応理屋恵、佐司笠などの「君」や、首里の三間切(三平等:みふぃらと呼ばれた)をそれぞれ掌管する3人の「大阿母志良礼(おおあもしられ)」がおり、その下に各地方を統括する「大阿母」たち、さらにその下に各地域の祭祀を管轄する「祝女」を配するヒエラルキーを形成していた。なお、高級神女たちを総じて「三十三君」と呼んでいた(三十三君については、33人ではなく「三十三」は「百」のように「大勢」ほどの意味とする説が有力)。そのほとんどは首里に在住し、王家となんらかの血縁関係にあったと考えられている。(ノロ フレッシュアイペディアより)
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琉球征伐から見た首里城
「暫く摂政を勤める馬良弼がお手紙する。1609年3月、まず薩摩は伊平屋、喜界島に拠点を置き、狼煙を挙げて、嘘の惨状を伝報してきた。首里城がガラ空きになるのは嫌なので、殺されるのを傍観しようとした。しかし民の苦しみを我慢することはできなかった。そこで3月20日、卑職は馬良弼を差遣し、1000人を率いて陸に向い、彼に至ったが手遅れであった。馬良弼が帰ってきて称するには、倭の勢いは凄かった。髪の毛が逆立った。3月26日、馬良弼が密かに行って様子を窺うと、船は多く、倭は少なかった。しかしこれは罠であった。馬良弼が兵を進めると、たちまち包囲されて、馬良弼は捕虜になった。4月1日、倭寇は中山の那覇港に突入した。卑職は、鄭迵、毛継祖等に命令して、3000人を統督させ、那覇江口に雄拠して力敵した。倭の船は互いにぶつかり合い、岩礁に衝突し、溺死するものは数えきれなかった。しかし倭奴は兵をたくさん蔵していて継ぎ至り、陸に沿って東北から入ってきた。この処は防備が無かった。継祖らは首里城に退いた。倭はただちに那覇を突いた。」(琉球征伐 フレッシュアイペディアより)
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いいでん!から見た首里城
作者曰く「敏腕美人アシスタント」。ぬるきるはる(つまりベタ・背景・トーン)担当。北海道日本ハムファイターズのファン。作品内では「猫好き」と言う印象が強いが、小動物に関しては全て好き。中でも犬に関してはとても愛着心を示しており、最近長年の夢だった柴犬を飼っている。日ハムの試合観戦中、偶然隣に座っていたことから伊集院光との交友がある。沖縄県(琉球)出身(なので2月に日ハムのキャンプの見学のついでに帰省する)。ご先祖様は大老・井伊直弼。また、母方の祖父は首里城の赤瓦を作った廉でプロジェクトXに出演したことがあり、血のつながらない親戚に沖縄ローカルタレントの川満しぇんしぇーがいる。2006年6月を持って結婚により姓が変わり「内藤」になった(しかし、その後も数回みずしなに「旧松村」という街道のような表記を用いられる)。結婚後は2006年秋以降、新アシスタントの登場もあり、さらに2007年6月に長男を出産したために産休・育休をした(現在のメインは主婦業)ため登場する機会は大きく減少し、登場するのは専ら新アシ2人が休んだときのピンチヒッターである。ただし、新アシの2人から「内藤チーフ」と呼ばれており、立場は(名目上の)チーフアシスタントに昇格したと思われる。2009年の夏からは夫の仕事の都合で1年間ニューヨークに向かう予定だったが、折からの不況で日本(埼玉)に留まっていた。「いいでん!1巻」にて、ついにニューヨーク転勤が実現した事を報告。登場人物曰く「内藤の人気は本人(みずしな)より上」だという。(いいでん! フレッシュアイペディアより)
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