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林毅陸から見た香川県
10歳の頃、中江兆民の門下であり、『仏和辞書』を同盟出版から出版し、東京府で仏学の私塾を開いていた実兄・中村秀穂が帰省の際に伴われて上京。学ぶこと2年。兄・秀穂の漢学の師である林竹堂(通称は淹三郎、号は竹堂)が神田小川町の塾舎・「葆真学舎」を閉じて郷里の香川県高松市に帰省するに際して、林滝三郎の学漢となり1882年(明治15年)に高松に渡る。「葆真学舎」で漢学を学ぶ。林竹堂は、魁偉・音吐朗々・豪放磊落にして甚だ酒を好んだ。香川県下の資産家は其の学風大いに揚がり、競って子弟を学舎に送り、寄泊学生は数百名に及んでいた。また鳥羽藩から来た教師・栗原亮一からウィリアム・スウィントンの万国史を教わる。1889年(明治22年)に塾頭である林滝三郎に認められて林家の養子となり、本籍を高松市に移した。(林毅陸 フレッシュアイペディアより)
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