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馬肉から見た福岡ソフトバンクホークス
民間療法として筋を痛めたり打撲の患部に馬肉を貼り付けるというものが存在する。1936年、日本プロ野球巨人の藤本定義監督は、登板が続いて肩を痛めたエース沢村栄治に馬肉を肩にあてさせたという。時代は下り、福岡ダイエーホークスの王貞治監督が足の打撲で途中交代した秋山幸二に贈ったところ、彼は「これを食べて英気を養ってくれ」というメッセージだと勘違いし、平らげてしまったという(秋山の出身地熊本では滋養強壮食として馬肉が食されているため)。(馬肉 フレッシュアイペディアより)
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馬肉から見たナポレオン
フランスでは、馬肉食は一般的であり、馬の頭部を店頭に並べたり、真っ赤な看板に金色の馬の頭部の作り物を飾るのが決まりである。元々は心理的な抵抗があったはずだが、フランス革命の後の混乱期に食糧が逼迫した時に、ナポレオンが戦場で死んだ馬の肉を食用にすることを許した。ほどなく正式に馬肉の市場取引が認められ、1870年代にドイツ軍がパリを包囲した時は多くの馬が処分された。安くて庶民的な食品として家庭で食べられるが、高級レストランに出ることはない。ただ、フランス国内の馬肉業者は、ソ連崩壊後に東欧から安い馬肉が流入したことで壊滅状態となっており、フランス産馬肉が減った結果、フランス人の馬肉消費量も減りつつある。食肉業界の統計によれば、フランスで消費される食肉のうち、馬肉が占める割合はわずか0.4%程度で、1年に1回以上馬肉を食べるという家庭も5世帯に1世帯にも満たない。ただし、BSE問題で、店舗によっては客足が戻りつつあるという。(馬肉 フレッシュアイペディアより)
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馬肉から見たばんえい競走
日本の乗馬及び競馬に携わる人の中には食材としての馬肉を忌避する者が多い。しかし、競馬雑誌の競走馬の異動欄には、現役を引退する馬の異動先が記されている。地方競馬への移籍や種牡馬・繁殖入りの他に乗馬になる馬がいる。それが全て乗馬になるわけではない。それ以外にも「用途変更」という名称で姿を消す馬が相当数おり、その「用途」の中には食用もあるといわれている。実際に、廃止された上山競馬場や中津競馬場に在籍していた競走馬の末路は食肉処分だった。また、北海道で行われているばんえい競馬では、競走に出るための能力試験(または能力検定ともいう。入厩馬に課せられる模擬競走、地方競馬のみの制度)を突破できなかったり、あるいは満足な競走成績が残せなかったりした競走馬が食肉向けに転用されており、公式サイトでも包み隠すことなくそのことが解説されている。通常、平地競馬の能力試験は、一定の制限時間をクリアすれば良いため、力一杯走る必要がなく、「馬なり」で能試を走らせることもあるが、ばんえいの場合は能試の結果がいわば「生死を分ける」ため、実戦さながらに行われる。(馬肉 フレッシュアイペディアより)
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馬肉から見たハーバード大学
第二次世界大戦中に、牛肉価格の高騰のためニュージャージー州で食用馬肉の販売を一時的に合法化したが、戦後禁止された。またハーバード大学のFaculty Clubでは、1983年まで100年以上、メニューに馬肉があった。しかし、「馬は開拓時代からの数少ない文化」とする動物保護団体等の活動が盛んで、2006年9月7日、下院は、食用を目的とした馬の屠畜を禁止する法案を可決した。さらに2007年1月、テキサス州では屠畜生産停止の裁判所仮命令が発令され実質的生産停止された。背景には、アメリカ人自身が馬肉を食さず、産業への影響が少ないといった国内事情がある。(馬肉 フレッシュアイペディアより)