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    高倉健から見た降旗康男

    1983年、降旗康男監督作品『居酒屋兆治』の準備が進行していた頃、黒澤明監督作品『乱』に「鉄修理(くろがねしゅり)」役での出演を打診されている。「でも僕が『乱』に出ちゃうと、『居酒屋兆治』がいつ撮影できるかわからなくなる。僕がとても悪くて、計算高い奴になると追い込まれて、僕は黒沢さんのところへ謝りに行きました」と述懐している。黒澤は当初から高倉を想定してこの役を書いており、この時には自ら高倉宅へ足繁く4回通い、「困ったよ高倉君、僕の中で鉄(くろがね)の役がこんなに膨らんでいるんですよ。僕が降旗君のところへ謝りに行きます。」とまで申し出ているが、高倉は「いや、それをされたら降旗監督が困ると思いますから。二つを天秤にかけたら誰が考えたって、世界の黒澤作品を選ぶでしょうが、僕には出来ない。本当に申し訳ない」と謝罪、この話を断った。黒澤は高倉に対して「あなたは難しい」と告げたという。結局この役は井川比佐志が演じている。高倉健 フレッシュアイペディアより)

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    高倉健から見た志村けん

    ビートたけしとは1985年の『夜叉』で共演以来親交があり、互いに大ファンである。2012年9月8日放送の「プロフェッショナル 仕事の流儀 高倉健スペシャル」の中でも、撮影の合間、高倉がたけしに「えぇ、たけちゃん、えぇ、勝新太郎です。会いたいよー」と冗談まじりに声色を変えて、携帯電話から留守電にメッセージを入れている様子が放送されている。また志村けんと岡村隆史もお気に入りのコメディアンであり、志村には、自ら電話を入れ『鉄道員(ぽっぽや)』の出演を要請。「お笑い一本」との姿勢を一貫していた志村を口説き落とした。『鉄道員』公開後、志村の番組のトークコーナーに小林稔侍が出演した際にはVTR出演し、志村の演技を絶賛する一方、東映時代から懇意にしてきた後輩で、現在も弟同然の付き合いである小林に対しては「セリフを覚えて来ない、気持ちを引き締めてほしい」などと、真顔で苦言を呈しながらもユーモラスに茶化し、小林を赤面させている。岡村とは第23回日本アカデミー賞で同席、岡村は高倉に長年のファンであることを伝えた。この時、主演作『無問題』で話題賞を受賞し、「将来は高倉健さんのような俳優になりたい」との受賞スピーチで会場から笑いが巻き起こる中、高倉はにこやかに立ち上がって拍手を送った。2010年、岡村が病気で半年にわたり療養した際にも電話や手紙でメッセージを送り、激励している。高倉健 フレッシュアイペディアより)

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    高倉健から見た仰木彬

    長嶋茂雄と交友があり、長男・長嶋一茂が1999年12月3日に箱根神社で結婚式を挙げた時、高倉が出席したので、結婚式取材に駆けつけた取材陣が驚いた一幕があった。村田兆治の引退試合中継を見て感銘を受け、それまで面識も無かった村田の住所を関係者に一通り尋ねて調べ、さらに留守中だった村田の自宅前に、花束を置いて帰ったという話がある。仰木彬は高校の後輩。石原裕次郎とも親交があり、「健さん」「裕ちゃん」と呼び合う仲だった。高倉健 フレッシュアイペディアより)

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    高倉健から見た倉本聰

    映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』 (1966年、にんじんプロダクション / 國光影業) を皮切りにハリウッド映画など、東映以外の作品にも出演していたが、1970年には高倉プロを設立。1976年に東映を退社し、フリーに転向した。同年の映画『君よ憤怒の河を渉れ』(永田プロ / 大映) にて、10年以上、出演し続けた仁侠映画のイメージから脱却。翌1977年には『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』の二作品に主演し、第1回日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞と、第20回ブルーリボン賞の主演男優賞のダブル受賞に輝いた。これ以後も数々の作品に出演し、合計4度の日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞、2度のブルーリボン賞の主演男優賞に輝いている。これと前後してアメリカ映画や中国映画などの海外作品にも出演しており、1998年には紫綬褒章を受賞した。一方でテレビドラマへの出演は1977年の初主演作『あにき』(TBS、脚本:倉本聰)をはじめ5作品である。その出演理由も「故郷にいる母親に、テレビで毎週自分の顔を見て安心して欲しいから」というものである。CMにも数多く出演しているが、富士通のパソコンFMVのCMでは『幸福の黄色いハンカチ』で夫婦を演じた倍賞千恵子と再び夫婦の設定で出演し、コミカルな演技を見せた。2006年4月2日の『世界遺産』(TBS)で初めてナレーションを務めた。高倉健 フレッシュアイペディアより)

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    高倉健から見た沢木耕太郎

    世界で一番好きな場所はハワイ。このことについて沢木耕太郎に「ドスを片手に敵地に乗り込む高倉健とハワイの取り合わせは意外なようだが、それは何故か」と問われて、高倉は「人が温かい」ことと、東映時代に過酷なスケジュールをこなしている中で、たまの休みにハワイの海岸で寝て過ごす開放感がたまらなかった、と述懐している。高倉健 フレッシュアイペディアより)

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    高倉健から見た八代亜紀

    挽歌 (1990年) ※八代亜紀とデュエット 1991年に三菱ふそう・ファイターのCMで、流された。高倉健 フレッシュアイペディアより)

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    高倉健から見たロバート・デ・ニーロ

    感銘を受けた映画は「ゴッドファーザー」「ディア・ハンター」だという。特に『ディア・ハンター』では、主演俳優で親交のあるロバート・デ・ニーロが「あんな芝居はもう二度とできない」と語っていた事も含め、非常に大きな衝撃を受けた、と語っている。高倉健 フレッシュアイペディアより)

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    高倉健から見たブルース・スプリングスティーン

    『ブラック・レイン』で共演したマイケル・ダグラスは大阪京橋の野外シーンロケで、日本人のファンが高倉に憧れて接する姿を目撃。その様子をダグラスは「アメリカではブルース・スプリングスティーンの時だけだよ。あんなに尊敬される姿を見られるのは!」と驚いていた。『君よ憤怒の河を渉れ』が中華人民共和国に輸入され、中国人の半分が観たともいわれており、宣伝のために田中邦衛と訪中した時、宿泊先のホテルには高倉を一目見たいというファンが大勢詰め掛けた。高倉のファンである映画監督・張芸謀(チャン・イーモウ)は『単騎、千里を走る。』の撮影の際、高倉が休憩の時に椅子に一切座らず、他のスタッフに遠慮して立ち続けていたことや、現地採用の中国人エキストラ俳優にまで丁寧に挨拶していたのを見て「こんな素晴らしい俳優は中国にはいない」と発言している。2006年4月には北京電影学院の客員教授に就任している高倉健 フレッシュアイペディアより)

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    高倉健から見たマイケル・ダグラス

    『ブラック・レイン』で共演したマイケル・ダグラスは大阪京橋の野外シーンロケで、日本人のファンが高倉に憧れて接する姿を目撃。その様子をダグラスは「アメリカではブルース・スプリングスティーンの時だけだよ。あんなに尊敬される姿を見られるのは!」と驚いていた。『君よ憤怒の河を渉れ』が中華人民共和国に輸入され、中国人の半分が観たともいわれており、宣伝のために田中邦衛と訪中した時、宿泊先のホテルには高倉を一目見たいというファンが大勢詰め掛けた。高倉のファンである映画監督・張芸謀(チャン・イーモウ)は『単騎、千里を走る。』の撮影の際、高倉が休憩の時に椅子に一切座らず、他のスタッフに遠慮して立ち続けていたことや、現地採用の中国人エキストラ俳優にまで丁寧に挨拶していたのを見て「こんな素晴らしい俳優は中国にはいない」と発言している。2006年4月には北京電影学院の客員教授に就任している高倉健 フレッシュアイペディアより)

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    高倉健から見た山田洋次

    1976年に東映から独立以降、作品の内容、スタッフ、ギャラなど自分が本当に納得できる作品を選んで出演している。一方で、「より厳しい状況に身を置いて、役者としての自分を磨くこと」も信条としている。初の松竹出演となった『幸福の黄色いハンカチ』の冒頭で、刑務所から刑期を終え出所した直後の食堂で、女性店員についでもらったグラスに入ったビールを深く味わうように飲み干した後、ラーメンとカツ丼を食べるシーンがある。その収録で「いかにもおいしそうに飲食する」リアリティの高い演技を見せ、1テイクで山田洋次監督からOKが出た。あまりにも見事だったので、山田が問い尋ねると「この撮影の為に2日間何も食べませんでした」と言葉少なに語り、唖然とさせた。高倉健 フレッシュアイペディアより)

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