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三和銀行から見た高杉良
1988年、第8代頭取に渡辺滉が就任、渡辺は、「新時代にふさわしい、最新にして最強、世界のユニバーサルバンクを目指そう」と提唱し、「3つのS?ストレングス、ストラテジー、スペシャリテイー」をコーポレート・カルチャーに据えた。また、大規模な機構改革を行い、企画・秘書・人事中枢部門に権限を集中させ、同時に、自らの出身校である一橋大と京都大出身者、中でも秘書室長である中村明を重用した。中村は、高杉良の小説『金融腐蝕列島』で「カミソリ佐藤」と呼ばれ恐れられる銀行マンのモデルとも言われ、頭取の渡辺に「私の思う通りにやらせてもらえば、三和を収益ナンバーワンにしてみせる」と豪語、行内で“7奉行”と呼ばれた若手秘書役(この一人に、UFJ銀行最後の頭取となる沖原隆宗がいた。)を補佐官として登用し、権勢をふるう中1992年、業務純益、経常利益、当期利益の3部門でトップとなり、三冠王を実現した。この間、首都圏主要駅周辺にATM網を整備し店舗数は有人・無人含め1,000を超えたものの首都圏での基盤は盤石化したとは言い難く、ATM整備の裏で第一勧業銀行や日本興業銀行との合併交渉を行ったがいずれも条件が折り合わず破談に終わる。この頃、バブル崩壊の影響を受け、多くのスキャンダルが噴出した。1992年10月、料亭経営者の尾上縫の架空預金証書事件では、経営難に陥った東洋信用金庫を救済合併し、東洋信金の一部店舗などを引き継いだ。(三和銀行 フレッシュアイペディアより)
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