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高尾山古墳から見た高松塚古墳
沼津市が高尾山古墳の保存断念を公表した5月25日、日本考古学協会は高尾山古墳の保存を求める会長声明を公表した。声明の中で高尾山古墳は日本の初期国家形成過程の画期である古墳文化形成を解明する上で極めて重要な遺跡であると位置づけられ、日本国民共有の文化遺産として将来にわたって保存、活用すべきとされた。これまで日本考古学協会が遺跡の保存問題に関して会長声明を出したのは高松塚古墳、鞆の浦しかなく、高尾山古墳が3例目となった。また静岡県考古学会も6月23日に、高尾山古墳は日本でも最古段階の大型古墳であり、重要な学術的価値を有し、日本国民にとってかけがえのない貴重な文化遺産であるとして、保存と活用を求めた要望書を提出した。一方、高尾山古墳の地元である金岡地区の5自治会は6月2日、朝夕の渋滞がひどく交通事故が多い等、劣悪な交通事情を訴えて沼津南一色線の早期建設を要望した。(高尾山古墳 フレッシュアイペディアより)
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二上山 (奈良県・大阪府)から見た高松塚古墳
古墳時代から飛鳥時代にかけて、二上山周辺は、海上の交通の要所、大阪湾・住吉津・難波津から、政治の中心の舞台である飛鳥地方への重要ルートとなり、二上山の南に、日本で最初の官道として知られる竹内街道が作られた。二上山の石切場から切り出された石材が高松塚古墳に使われた。謀反の疑惑をかけられて自害した、大津皇子の墓が雄岳山頂付近にある(ただし、大津皇子の墓ではないとする説もある)。(二上山 (奈良県・大阪府) フレッシュアイペディアより)
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明日香村立阪合小学校から見た高松塚古墳
廃校前は児童の買い物が多く文具や昼食時にはカップラーメンやパン、珈琲牛乳などを購入するのに賑わっていたが廃校と共に人は減り、観光客が休憩の為に食べ物を買う程度の状況になっている。それでも当時は壁画が出土した高松塚古墳への道中の場所だったが現在は道が舗装され、この場所を通る必要性がなくなり、人の寄りも少なくなっている。(明日香村立阪合小学校 フレッシュアイペディアより)