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  • 高松塚古墳

    高松塚古墳から見た美術史

    古墳は鎌倉時代頃に盗掘を受けており、石室の南壁には盗掘孔が開けられていたが、壁画の彩色は鮮やかに残り、盗掘をまぬがれた副葬品の一部もこの時検出された。極彩色壁画の出現は考古学史上まれにみる大発見としてトップニュースとなり、文化庁はさっそく壁画の保存対策および研究調査にとりかかった。壁画発見からほどなく高松塚古墳応急保存対策調査会が設置され、発見から1か月も経たない1972年4月6日と4月17日に初の学術調査が実施された。また、応急保存対策調査会とは別に、考古学、美術史、保存科学などの専門家から構成される高松塚古墳総合学術調査会が設置され、1972年10月に同調査会による学術調査が実施された。高松塚古墳 フレッシュアイペディアより)

  • 高松塚古墳

    高松塚古墳から見た国宝

    高松塚古墳の発掘調査は、1972年3月1日から開始された。発掘の始まったきっかけは、1970年の10月ごろ村人がショウガを貯蔵しようと穴を掘ったところ、穴の奥に古い切石が見つかったことである。地元の人達が明日香村に働きかけ、明日香村が資金を捻出し奈良県立橿原考古学研究所が発掘調査することになった。発掘は明日香村が事業主体となり、橿原考古学研究所が実際の発掘を担当した。当時、明日香村では村の発足15周年を期に村史を編纂するため、未調査の遺跡の発掘を進めており、高松塚の発掘もその一環であった。奈良県立橿原考古学研究所所長の末永雅雄の指揮のもと、現場での発掘は伊達宗泰と関西大学助教授の網干善教を中心とした関西大学と龍谷大学の研究者・学生グループによって行われた。石室が検出され、鮮やかに彩色された壁画が発見されたのは同年3月21日のことである。古墳は1973年4月23日、特別史跡に、また極彩色壁画は、1974年4月17日に国宝に指定されている。高松塚古墳 フレッシュアイペディアより)

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    高松塚古墳から見た二十八宿

    奥の北壁には四神のうちの玄武が描かれ、天井には星辰が描かれている。南壁には四神のうち南方に位置する朱雀が描かれていた可能性が高いが、鎌倉時代の盗掘時に失われたものと思われる。天井画は、円形の金箔で星を表し、星と星の間を朱の線でつないで星座を表したものである。中央には北極五星と四鋪四星(しほしせい)からなる紫微垣、その周囲には二十八宿を表す。これらは古代中国の思想に基づくもので、中央の紫微垣は天帝の居所を意味している。高松塚古墳 フレッシュアイペディアより)

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    高松塚古墳から見た特殊切手

    寄附金付特殊切手: 郵便料金20円に5円の付加金付きが2種類、郵便料金に50円に10円の付加金付きが1種類、1973年3月26日に発行された。高松塚古墳 フレッシュアイペディアより)

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    高松塚古墳から見た相対湿度

    石室は大人2人がかがんだ姿勢でようやく入れる程度の広さしかなく、スペースの点だけを考えても、現地での一般公開は到底不可能であった。石室内は相対湿度が100%近い高湿の環境であり、修理や調査のために人が短時間石室内に入っただけでも温度の上昇と湿度の低下をもたらした。壁画の保存方法については内外の専門家からさまざまな意見が出され、石室から壁画を剥がして別途保存する方法を含め、さまざまな案が検討されたが、最終的には石室は解体せず、壁画は現地で保存することに決した。高松塚古墳 フレッシュアイペディアより)

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    高松塚古墳から見た神戸女子大学

    高市皇子説を唱える代表的な人物は、原田大六(考古学者)、河上邦彦(奈良県立橿原考古学研究所副所長、現神戸女子大学教授)、豊田有恒(作家)ら。高松塚古墳 フレッシュアイペディアより)

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    高松塚古墳から見た壁画

    高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史公園内)に存在する古墳。藤原京期(694年?710年)に築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになった。高松塚古墳 フレッシュアイペディアより)

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    高松塚古墳から見た貞観儀式

    壁画は石室の東壁・西壁・北壁(奥壁)・天井の4面に存在し、切石の上に厚さ数ミリの漆喰を塗った上に描かれている。壁画の題材は人物像、日月、四方四神および星辰(星座)である。東壁には手前から男子群像、四神のうちの青龍とその上の日(太陽)、女子群像が描かれ、西壁にはこれと対称的に、手前から男子群像、四神のうちの白虎とその上の月、女子群像が描かれている。男子・女子の群像はいずれも4人一組で、計16人の人物が描かれている。中でも西壁の女子群像は(壁画発見当初は)色彩鮮やかで、歴史の教科書をはじめさまざまな場所でカラー写真が紹介され、「飛鳥美人」のニックネームで親しまれている。人物群像の持ち物が『貞観儀式』にみられる元日朝賀の儀式に列する舎人ら官人の持ち物と一致する。この元日朝賀の儀式には日月・四神の幡も立てられる。高松塚古墳 フレッシュアイペディアより)

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    高松塚古墳から見た国際日本文化研究センター

    百済王禅光と主張するのは千田稔(国際日本文化研究センター教授)。高松塚古墳 フレッシュアイペディアより)

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    高松塚古墳から見た

    石室に安置されていたは、わずかに残存していた残片から、漆塗り木棺であったことがわかった。石室は鎌倉時代頃に盗掘にあっていたが、副葬品や棺の一部が残っていた。出土品は漆塗り木棺の残片のほか、棺に使われていた金具類、銅釘、副葬品の大刀金具、海獣葡萄鏡、玉類(ガラス製、琥珀製)などがある。中でも隋唐鏡の様式をもつ海獣葡萄鏡と、棺の装飾に使われていた金銅製透飾金具がよく知られる。高松塚古墳 フレッシュアイペディアより)

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