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坂本龍一から見た高橋幸宏
1978年2月、細野晴臣のアルバム『はらいそ』に参加。細野の誘いにより、高橋幸宏とともに「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)を結成、活動を開始する。10月、坂本初のソロアルバム『千のナイフ』をリリースし、ソロ・デビューも果たす。11月、YMO名義の『イエロー・マジック・オーケストラ』を発売、続く『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』で爆発的人気を博す。またこの年、風の旅団の前身となるテント劇団「曲馬館」の音楽にも参加した。翌1979年にはYMOと並行する形で渡辺香津美、矢野顕子、小原礼、村上秀一、本多俊之らとセッションユニットKYLYNや、ほぼ同じメンバーで、各パート二人ずつで演奏技術を競わせるというコンセプトのカクトウギセッションでの活動を行う。また一部の楽曲で第二ピアノを演奏した高橋悠治のLP『新ウィーン楽派ピアノ音楽集成』が発表された(後に『新ウィーン楽派ピアノ作品集』としてCD化。また参加楽曲シェーンベルク「四手のための六つの小品」は坂本のアルバム『フェイヴァリット・ヴィジョンズ』にも収録されている)。同年から1980年にかけて、YMOは2度にわたるワールドツアーを実施。(坂本龍一 フレッシュアイペディアより)
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ビハインド・ザ・マスク (曲)から見た高橋幸宏
それまで難解なコード進行を得意としてきた坂本龍一だったが、ここでは単純ないわゆるロックのコード進行(F-D♭-E♭-Cm)を使用している。メロディは坂本と高橋幸宏が共同で担当したため、ある時期まで高橋が作曲者として連名でクレジットされていた。本曲は数多くのカバーバージョンが示すように、海外での評価が高い(詳細は後述)。しかし細野晴臣と高橋は、この曲を初めて聴いたとき非常に当たり前の曲と思ったらしく、特に細野はこの曲のすばらしさを認識できなかった自分自身に対して「プロデューサーとしては失格」と発言している。(ビハインド・ザ・マスク (曲) フレッシュアイペディアより)
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DCブランドから見た高橋幸宏
DCブランドとは、かつて、ファッション雑誌やデパートなどで使われていた用語。この用語がいつ頃から使われ始めたかは明らかではないが、1979年(昭和54年)の新聞に、渋谷PARCO PART2の地下1階メンズフロアの広告として、「デザイナーズブランド(Designer's Brand、のちにDesigners' Brand)」の名のもとに、松田光弘・菊池武夫・三宅一生・川久保玲・高橋幸宏諸氏(年齢順)の名およびメンズファッションへのコメントを載せたものが、この用語を社会認知させる最初のものであった。また、同時期、午後の情報番組に数名のデザイナーが出演しファッションへのコメントをしたり、三宅一生氏とYMOの生演奏コラボによるファッションショーが特番として組まれるなどした。その他「デザイナーズブランド」とは別に、例えば、ニットおよびカットソーでトータルコーディネイトを提案した「メルローズ」や、シャツアイテムをセールスにした「アンバーハウス」のように、特化的なブランドも注目されたが、「キャラクターズブランド」とはよばれなかった。なお、当初は「デザイナーズ&キャラクターズブランド」という用語はなかった。結果的に、この用語は広告およびファッション界の中で、確立したジャンルを表す意味のものとして定着しなかった。実際、各ブランドに対して、一部の雑誌編集部などの関心の及ぶもののみがクローズアップされてDCブランドと名付けられたため、この用語には、各ブランドの特徴は表現されていないことに注意する必要はある。現在、ファッション業界の中で、自らをDCブランドとして位置付けする衣服メーカーはほとんどなく、DCブランドという総称は過去の分類用語となっている。なお、ファッション史などで解説される「デザイナーズブランド」と「キャラクターズブランド」の意味は下記のとおりで、講学上の意義にとどまる。(DCブランド フレッシュアイペディアより)
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YUKIHIRO TOUR1983から見た高橋幸宏
YUKIHIRO TOUR1983は、1983年8月に行われた高橋幸宏のコンサート・ツアーである。(YUKIHIRO TOUR1983 フレッシュアイペディアより)