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中原昌也から見た高橋源一郎
文芸誌のコラムやインタビューでは「活字を書いて生活していくことの苦しさ」を言い立てることが多い。『文學界』2008年4月号で行なわれた、古井由吉、筒井康隆、高橋源一郎、島田雅彦、川上未映子ら作家11人による大座談会「ニッポンの小説はどこへ行くのか」に出席した際も、中原は終始「小説は、辛くて辛くて書きたくない。でも、書かないと、その辛さがわかってもらえない」というような発言を繰り返し、司会の高橋源一郎から「中原君はほっときましょう」と言われている。2008年、高橋源一郎の選考により『中原昌也 作業日誌』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。高橋は「おれの基準で、いちばん小説になっていたもの、最高の小説だったもの、それが、一見、ただの日記にすぎない、聞いたことも見たこともないCDやDVDの膨大な購入リストとグチと泣き言ばかりの、この中原昌也の『作業日誌』だった」との選評を行なった。(中原昌也 フレッシュアイペディアより)
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湾岸戦争に反対する文学者声明から見た高橋源一郎
柄谷行人、中上健次、島田雅彦、田中康夫、高橋源一郎、川村湊、津島佑子、いとうせいこう、青野聰、石川好、岩井克人、鈴木貞美、立松和平、ジェラルディン・ハーコート、松本侑子、森詠、渡部直己(脱退)(湾岸戦争に反対する文学者声明 フレッシュアイペディアより)
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奥田愛基から見た高橋源一郎
1992年生まれ。福岡県北九州市出身。父親は日本バプテスト連盟の牧師の奥田知志で、ホームレスや貧困者を支援するNPO法人「抱樸」の理事長を務めている。中学2年時に不登校。その後、島根県にある全寮制のキリスト教愛真高等学校に入学。同校の授業で海外の貧困問題に関心をもち、国際学部に進むきっかけとなった。2011年、明治学院大学国際学部に指定校推薦で入学。入試の面接時にはのちに共著を出す面接官の高橋源一郎とカレーの話で盛り上がったという。大学入学直前に東日本大震災が起こり、被災地支援に関わる。短編ドキュメンタリー『生きる312』を監督として製作し、2013年に国際平和映像祭でグランプリと地球の歩き方賞をダブル受賞した。また、震災後の政治運動について考える団体「the Temporary Autonomous Zone」(TAZ)を運営した。5月から大学に復帰するが、その後休学しカナダなどに留学した。(奥田愛基 フレッシュアイペディアより)
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クォンタム・ファミリーズから見た高橋源一郎
東は近年はブログの更新を停止し、ネット上では主にTwitterを使用して発言しており、『クォンタム・ファミリーズ』刊行前後には各書店の入荷・在庫情報が東のアカウントに寄せられた。また発売日前に作られた公式アカウントからは、発売日当日に増刷が決まったことがアナウンスされている。Twitter上ではまた高橋源一郎、阿部和重、仲俣暁生などからの好意的な感想も寄せられている。(クォンタム・ファミリーズ フレッシュアイペディアより)