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高橋由伸から見たブライアン・バリントン
1500本安打:2011年7月10日、対広島東洋カープ9回戦(東京ドーム)、5回裏にブライアン・バリントンから左翼線へ安打 ※史上108人目(高橋由伸 フレッシュアイペディアより)
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高橋由伸から見た川上憲伸
慶應義塾大学野球部で1年時からレギュラー。春季リーグ戦の開幕1試合目から5番・三塁手として出場、ルーキー新記録の3本塁打を放った。3年時の東京六大学野球1996年春季リーグ戦では打率.512、5本塁打を記録して三冠王を獲得。4年時の1997年には主将に就いた。相手が勝負を避けるようになり、2試合で7四球など敬遠も目立つ中、春季リーグ戦ではチームを9季ぶりのリーグ優勝に導くなど貢献する。秋季リーグでは法政大学の安藤優也から本塁打を放ち、田淵幸一の持つ東京六大学リーグ本塁打記録を更新した。リーグ通算102試合出場(4年間全試合フルイニング出場)し、通算打率.325、119安打(当時歴代4位)、23本塁打(歴代1位)、62打点(当時歴代12位)、219塁打(歴代1位)と記録的な成績を残す。日米大学野球においても日本代表の4番打者として3試合連続本塁打を打つなど活躍。インターコンチネンタルカップでも大学生ながら日本代表の4番打者として出場し、上原浩治(大阪体育大学)が先発した国際大会151連勝中のキューバとの決勝戦で1回裏に先制点かつ決勝点となる3点本塁打を放ち、その後も2点三塁打を打つなど優勝に貢献した。同年に大学を卒業し、甘いマスクと走攻守を兼ね揃えた六大学のスターとして高い人気を誇っていた。ちなみに、リーグ戦では1度だけリリーフ投手として登板し無失点で切り抜け、球速149km/hを記録したことがある。当時慶大の後藤寿彦監督は高橋のことを「試合の勝敗にはすごくこだわるのに、自分の記録や賞についてはギラギラしていない」と語った。高橋の大学の3学年後輩である佐藤友亮は、「後輩に怒ることが全く無く、後輩が叱られていたら庇ってくれる仏様のような人」「彼がいなかったら何人も野球部を辞めていた」とプロ入り後に語っている。また、高橋と同期である明治大学の川上憲伸とは六大学野球新記録となる本塁打を放つなど大学時代よりライバルであった。(高橋由伸 フレッシュアイペディアより)
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高橋由伸から見た東京ヤクルトスワローズ
3年時には強打者を1番に据えるという土屋監督の方針により1番打者を務めるも、甲子園には出られなかった。1,2年時の甲子園通算打率は.400。高校通算30本塁打。ヤクルトなど複数のプロ球団からスカウトされていたが、慶應進学という入学当初からの目標は変わらず、慶應義塾大学(法学部政治学科)へ指定校推薦で進学する。「非凡なセンスを持ちながら根っからの野球好きでない高橋には、自由で伸び伸びとしたチームがいい」と考えた土屋監督の助言もあった。(高橋由伸 フレッシュアイペディアより)
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高橋由伸から見たエンジェルベルト・ソト
100死球:2012年7月14日、対中日ドラゴンズ11回戦(ナゴヤドーム)、6回表にエンジェルベルト・ソトから ※史上19人目(高橋由伸 フレッシュアイペディアより)