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  • 高橋由伸

    高橋由伸から見た新井貴浩

    春季キャンプ前の自主トレで「タイトル奪取」を目標に掲げ、開幕から好調を維持。5月4日の横浜戦では二打席連続本塁打を放ち、この時点で打率は4割を超えていた。6月の広島戦では球団通算7500号本塁打を放ち、対戦投手は2000年にも球団通算節目の本塁打を放った高橋建だった。しかし、シーズン中盤に入るとスランプに陥り、4割を超えていた打率は7月末には3割台前半にまで落ち込んだ。8月3日の広島戦(旧広島市民球場)では新井貴浩が放った打球をフェンス際でジャンピングキャッチを試みた際に左足かかとを強打し戦線離脱(左足底筋腱挫傷)。復帰までに約1ヶ月半を要し、その復帰第1戦となった9月16日の横浜ベイスターズ戦で中根仁が放った同様のフェンス際の打球ではジャンピングキャッチを成功させた。本塁打・打点は新ストライクゾーンと35試合欠場した影響で前年から大幅に成績を下げてしまい、開幕前に掲げたタイトル奪取はならなかったが、2年連続で打率3割をキープした。高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

  • 高橋由伸

    高橋由伸から見たロベルト・ペタジーニ

    春季キャンプからMLB・サンフランシスコ・ジャイアンツのバリー・ボンズを参考にして重心移動に取り組み、長打力がアップした。オープン戦で6本塁打を記録した勢いそのままに開幕戦から3試合連続本塁打(1993年の秋山幸二以来6年ぶり)を放ち、4月には打率.433、8本塁打、29打点を記録し月間MVPを獲得。開幕から5番として試合に出場してきたが、5月5日にはプロ2年目にして巨人第66代の4番打者に指名される。以後チームメイトの松井秀喜、ヤクルトスワローズのロベルト・ペタジーニと熾烈な本塁打王争いを展開。しかし、9月14日の中日戦(ナゴヤドーム)での守備の際に外野フェンスに激突し、鎖骨骨折の重傷を負ってチームから離脱した。中日と激しい優勝争いをしていたチームにとっても高橋の離脱は大きな痛手となり、本塁打王と共にチームの優勝も逃した。自身は打率.315(リーグ5位)、34本塁打(リーグ6位)、98打点(リーグ4位)を記録。故障により終盤欠場しながら打撃成績のほとんどの数字で前年を上回り、初のベストナインに選出された。オフには年俸6100万円増の1億円でサイン。史上最速の年俸1億円到達となった。高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

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    高橋由伸から見た渡邊恒雄

    6月11日の日本ハム戦でNPB史上55人目となる通算3000塁打を達成した。最終的に77試合の出場で打率.278の成績を残し、代打の切り札として代打打率.395を記録し、翌シーズンも現役続行の意向を示していたが、クライマックスシリーズ敗退を受けて今季限りでの勇退を表明した原の後任として球団より監督就任要請を打診され、10月23日に、渡邊恒雄取締役最高顧問、白石興二郎取締役オーナー(いずれも当時)と面会の上、翌2016年シーズンからの監督就任を受諾することを報告、同時に2015年シーズンをもって現役を引退することを表明。10月26日には監督就任会見を行い、11月5日に日本野球機構(NPB)より任意引退公示された。高橋の引退及び監督就任が突然の決定であったことから、球団側では「ファンから(引退式を行って欲しいという)要望も多く、こちらも何かの形にしたかった」として11月23日のファンフェスタ(東京ドーム)で高橋の現役引退式並びに監督就任セレモニーが執り行われた。なお、背番号は現役時代より引き続き24となった。NPBでは史上初の「昭和50年代生まれ及び逆指名入団の監督」となる。高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

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    高橋由伸から見た小室哲哉

    2001 - 2002年:小室哲哉「SPEED TK RE-MIX」高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

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    高橋由伸から見た阿部慎之助

    開幕前のインタビューで「体の衰えが技術で補えなくなっている」と発言したが、開幕戦に「6番右翼」としてスタメン出場。わずか4打席の差で5年ぶりの規定打席到達は逃したが、大きな怪我もなく1年間を通して1軍に帯同。シーズン打率.239、8本塁打に終わったものの、出塁率は3割5分を越え、満塁の場面では.538、2本塁打、21打点と勝負強さが光った。7月のオールスターゲームには2007年以来約5年ぶりに出場。第1戦、第3戦に「7番左翼」で先発出場、第2戦に堂林翔太の代打で登場し、5打数2安打1死球を記録した。8月17日の広島戦(東京ドーム)で史上37人目となる300本塁打を達成した。クライマックスシリーズは全試合にスタメン出場し、日本シリーズでは、3戦目に阿部慎之助が負傷したため4戦目に4番でスタメン出場した。高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

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    高橋由伸から見た堂林翔太

    開幕前のインタビューで「体の衰えが技術で補えなくなっている」と発言したが、開幕戦に「6番右翼」としてスタメン出場。わずか4打席の差で5年ぶりの規定打席到達は逃したが、大きな怪我もなく1年間を通して1軍に帯同。シーズン打率.239、8本塁打に終わったものの、出塁率は3割5分を越え、満塁の場面では.538、2本塁打、21打点と勝負強さが光った。7月のオールスターゲームには2007年以来約5年ぶりに出場。第1戦、第3戦に「7番左翼」で先発出場、第2戦に堂林翔太の代打で登場し、5打数2安打1死球を記録した。8月17日の広島戦(東京ドーム)で史上37人目となる300本塁打を達成した。クライマックスシリーズは全試合にスタメン出場し、日本シリーズでは、3戦目に阿部慎之助が負傷したため4戦目に4番でスタメン出場した。高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

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    高橋由伸から見た王建民

    前年に続き中堅手へのコンバートを試みるが、まもなく近鉄から移籍してきたタフィ・ローズに譲る。ロベルト・ペタジーニをヒントにした、バットを持つ両手を胸の横に置き、それまで寝かせていたバットを立てた打撃フォームに改造した結果、開幕直後は極端な不調に陥ったが、徐々に復調していった。開幕からシーズン途中に開催されたアテネ五輪まで継続して4番打者を務める。五輪では日本代表の3番・センターと副主将を任され、代表チーム最多の3本塁打を打つなど活躍。中でも野球台湾代表戦では王建民から貴重な同点2点適時本塁打を放った。しかし、五輪で肘の遊離軟骨状態が悪化し肘に痛みを抱えながらのプレーで守備面では送球に精彩を欠き、ゴールデングラブ賞をプロ入りして初めて逃したが、打撃では5年ぶりに30本塁打を記録、打率も4年連続で3割をクリアした。9月29日の広島戦では長嶋茂雄の849試合目に次ぐ史上8位のペースとなるプロ850試合目での1000本安打を達成した。高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

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    高橋由伸から見た高木晃次

    初安打:同上、7回表に高木晃次から右前安打高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

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    高橋由伸から見たマット・ホワイト

    心身ともに強い選手という意味で「強」をテーマに掲げ、原監督は開幕戦から高橋を「1番・右翼」で起用した。横浜との開幕戦(横浜スタジアム)の第1打席、横浜先発の三浦大輔の初球を右翼スタンドへ本塁打を放ち、セントラル・リーグ史上初、の衆樹資宏(阪急)以来45年ぶりの開幕戦初球先頭打者本塁打を放ち、長嶋茂雄の5年連続に次ぐ歴代2位の3年連続開幕戦本塁打を記録した。4月28日、FA権を取得するも、早い段階で宣言せずに残留することを表明。生涯巨人を宣言した。6月以降は右足首痛が悪化するもそのまま出場を続け、6月には打率.408、8本塁打、18打点、OPS1.347を記録し4年ぶりとなる月間MVPを受賞。7月26日の横浜戦ではマット・ホワイトからプロ野球新記録となるシーズン9本目の初回先頭打者本塁打を記録。終盤は腰痛により成績を落としたが、1年を通じて大きなケガや長期離脱もなくプレーし、3年ぶりに規定打席に到達し、リーグ6位の打率.308を記録。8年ぶりのベストナインに選ばれ、4年ぶりのゴールデングラブ賞も獲得。高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

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    高橋由伸から見た門倉健

    初盗塁:1998年4月15日、対中日ドラゴンズ2回戦(東京ドーム)、2回裏に二盗(投手:門倉健、捕手:光山英和)高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

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