156件中 51 - 60件表示
  • 高橋由伸

    高橋由伸から見た山内泰幸

    初本塁打:1998年4月7日、対広島東洋カープ1回戦(東京ドーム)、4回裏に山内泰幸から右越ソロ高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

  • 高橋由伸

    高橋由伸から見た光山英和

    初盗塁:1998年4月15日、対中日ドラゴンズ2回戦(東京ドーム)、2回裏に二盗(投手:門倉健、捕手:光山英和高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

  • 高橋由伸

    高橋由伸から見た佐々岡真司

    1番打者として出塁を意識し、自己最高の66四球・出塁率.404を記録する一方で、初球打ちの打率は.441、自己最多の35本塁打も記録した。日程終了時点ではリーグ最多本塁打だったが、その後村田修一が最後の1本となる36本目を佐々岡真司引退試合の9回最後の打席で打ったため、惜しくも本塁打王を逃した。OPS.982、得点圏打率.409は12球団トップであり、その成績から「1番に据えておくのはもったいない」という意見も出るほどで、当時楽天イーグルス監督の野村克也からも「俺ならクリーンナップ」と言われた(なお、この発言の翌日の試合のみ4番として起用されている)。高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

  • 高橋由伸

    高橋由伸から見た田淵幸一

    慶應義塾大学野球部で1年時からレギュラー。春季リーグ戦の開幕1試合目から5番・三塁手として出場、ルーキー新記録の3本塁打を放つ。3年時の東京六大学野球1996年春季リーグ戦では打率.512、5本塁打を記録して三冠王を獲得。4年時の1997年には主将に就く。相手が勝負を避けるようになり、2試合で7四球など敬遠も目立つ中、春季リーグ戦ではチームを9季ぶりのリーグ優勝に導く貢献。秋季リーグでは法政大学の安藤優也から田淵幸一の持つ東京六大学リーグ本塁打記録を更新して歴代1位となる通算23本塁打を放つ。リーグ通算102試合出場(4年間全試合フルイニング出場)し366打数119安打、62打点、打率.325。通算219塁打は歴代1位。日米大学野球においても日本代表の4番打者として3試合連続本塁打を打つなど活躍。インターコンチネンタルカップでも大学生ながら日本代表の4番打者として出場し、上原浩治が先発した国際大会151連勝中のキューバとの決勝戦で1回裏に先制点かつ決勝点となる3点本塁打を放ち、その後も2点三塁打を打つなど優勝に貢献。同年に大学を卒業。甘いマスクと走攻守を兼ね揃えた六大学のスターとして高い人気を誇っていた。ちなみに、リーグ戦では1度だけリリーフ投手として登板し無失点で切り抜け、球速149km/hも記録したことがある。当時の慶大監督の後藤寿彦は、「試合の勝敗にはすごくこだわるのに、自分の記録や賞についてはギラギラしていない」と語った。大学の後輩である佐藤友亮は、「後輩に怒ることが全く無く、後輩が叱られていたら庇ってくれる仏様のような人」「彼がいなかったら何人も野球部を辞めていた」とプロ入り後に語っている。また、同期である明治大学の川上憲伸投手とは六大学野球新記録となる本塁打を放つなど大学時代よりライバルであった。高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

  • 高橋由伸

    高橋由伸から見た松田慎司

    初死球:同上、8回表に松田慎司から高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

  • 高橋由伸

    高橋由伸から見た川崎憲次郎

    初打点:1998年4月5日、対ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、6回表に川崎憲次郎から左中間へ適時二塁打高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

  • 高橋由伸

    高橋由伸から見た衆樹資宏

    心身ともに強い選手という意味で「強」をテーマに掲げ、開幕戦から1番・右翼で起用される。横浜との開幕戦(横浜スタジアム)では第1打席で先発・三浦大輔の初球を右翼スタンドへ本塁打を放ち、セントラル・リーグ史上初、衆樹資宏以来45年ぶりの開幕戦初球先頭打者本塁打を放ち、長嶋茂雄の5年連続に次ぐ歴代2位の3年連続開幕戦本塁打を記録。4月28日、FA権を取得するも、早い段階で宣言せずに残留することを表明。生涯巨人を宣言した。6月以降は右足首痛が悪化するもそのまま出場を続け、6月には打率.408、8本塁打、18打点、OPS1.347を記録し4年ぶりとなる月間MVPを受賞。7月26日の横浜戦ではマット・ホワイトからプロ野球新記録となるシーズン9本目の初回先頭打者本塁打を記録。終盤は腰痛により成績を落としたが、1年を通じて大きなケガや長期離脱もなくプレーし、3年ぶりに規定打席及び打率3割をクリア。チーム5年ぶりの優勝に大きく貢献し、8年ぶりにベストナインに選ばれ、4年ぶりのゴールデングラブ賞も獲得。また、この年のMVP大本命とされていたが、惜しくも選出されず、チームメイトの小笠原道大が受賞した。高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

  • 高橋由伸

    高橋由伸から見た土屋恵三郎

    桐蔭学園野球部には期待の投手として入部したが、間もなく監督の土屋恵三郎から打撃と強肩を活かす右翼手への転向を薦められる。高橋は渋ったものの、転向すればすぐにレギュラーで3番を打たせるという言葉で決断。1年生時から3番・右翼手のレギュラーの座を掴む。このころから強肩・好守に加えて勝負強さの片鱗を見せていた。第73回全国高等学校野球選手権大会で3回戦に進出するも、鹿児島実とあたり、最後はサヨナラ負けを喫する。当時の同僚には高木大成(2学年上)や副島孔太(1学年上)がいた。高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

  • 高橋由伸

    高橋由伸から見た高橋建

    シーズン前半戦は前年の骨折の影響もありプロ入り後初めてのスランプを経験するが、後半戦には復調。「MKT砲」と称された3番・高橋、4番・松井、5番・清原の強力クリーンアップの一員としてリーグ優勝・日本一に貢献。9月の広島戦で球団通算1000号サヨナラ本塁打を高橋建から放った。プロ入り初の全試合出場を果たすも、3年目で初めて打率3割を下回った。高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

  • 高橋由伸

    高橋由伸から見た秋山幸二

    メジャー・リーグのバリー・ボンズを参考にして重心移動に取り組み、長打力もアップ。オープン戦で6本塁打を記録した勢いそのままに開幕戦から3試合連続本塁打(1993年の秋山幸二以来6年ぶり)を放ち、4月には打率.433、8本塁打、29打点を記録し月間MVPを獲得。5月5日にはプロ2年目で巨人第66代の4番打者に指名される。以後チームメイトの松井秀喜、ヤクルトのペタジーニと熾烈な本塁打王争いを展開。しかし、本塁打王争いのトップに立っていた9月14日の中日戦(ナゴヤドーム)での守備の際に外野フェンスに激突し、鎖骨骨折の重傷を負いシーズンを終了。中日と激しい優勝争いをしていたチームにとっても痛手となり、本塁打王と共にチームの優勝も逃した。118試合の出場に留まるものの、打率.315、34本塁打、98打点の堂々たる成績を残す。初のベストナインに選出され、2年目で年俸1億円を越えた。高橋由伸 フレッシュアイペディアより)

156件中 51 - 60件表示

「高橋由伸」のニューストピックワード