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リトル・ニモから見た高畑勲
本作のアニメ化としてもっとも規模が大きく、かつ有名なものは日本のテレコム・アニメーションフィルムが製作に関与した劇場用アニメ『NEMO/ニモ』である。アメリカ合衆国との共同製作であり、監督は最終的に波多正美、ウィリアム・T・ハーツによって行われた。公開は1989年。15年にわたる製作期間と55億円もの巨費が投じられ、宮崎駿、高畑勲、大塚康生、レイ・ブラッドベリ、ジャン・ジロー(メビウス)など多くの著名人が製作に関わったが、日本では興行収入は9億円前後、アメリカでも137万ドル弱(約1億4000万円)にとどまり、興行的には失敗に終わった。(リトル・ニモ フレッシュアイペディアより)
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トップクラフトから見た高畑勲
『風の谷のナウシカ』の制作は、監督の宮崎駿が当初制作拠点として考えていた古巣のテレコム・アニメーションフィルムに余裕がなく断られたため、トップクラフトに白羽の矢が立ったものである。前述の博報堂との関係の他、原徹は東映動画時代に『太陽の王子 ホルスの大冒険』の制作を通じて、監督の宮崎駿、プロデューサーの高畑勲とは旧知の仲であった。『風の谷のナウシカ』は成功を収め、これにより、徳間書店のアニメ事業への進出を決意させることになった。1985年にアニメ映画『天空の城ラピュタ』(1986年公開)制作のために、徳間書店の出資によりスタジオジブリが設立。原徹はこれに取締役として参加することとなり、トップクラフトはスタジオジブリへと改組する形で解散。『風の谷のナウシカ』の後、博報堂の製作で作った日本向けテレビアニメシリーズ『コアラボーイ コッキィ』を最後に13年の活動に終止符を打った。(トップクラフト フレッシュアイペディアより)
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シンカク高橋から見た高畑勲
特に好きな映画には、サーファーズ・ルールと審判の誤審問題を扱った青春映画「ノースショア」(1987)、ロックンローラー、ジェリー・リー・ルイスの伝記映画「Great Balls of Fire! グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー(火の玉ロック)」(1989)、クリスマスや鉄道を題材とした冒険アニメ映画「ポーラーエクスプレス」(2004)、モーツァルトを扱ったアカデミー賞総なめの「アマデウス 」(1984)、CGアニメを駆使した宇宙冒険映画「タイタンA.E.」(2000)、孤独な少年と虫たちが空を飛び、ニューヨークを目指す冒険映画「ジャイアント・ピーチ」(1996)、アカデミー賞を受賞した反戦映画「7月4日に生まれて」(1989)、ディズニーアニメ映画「ピーター・パン2 ネバーランドの秘密」(2002)、「ハリー・ポッター」シリーズなどを挙げている。また、その他のヘンリー・セリック監督、オリバー・ストーン監督、大林宣彦監督、宮崎駿監督、高畑勲監督、ローランド・ジョフィ監督、ジョン・ミリアス監督作品も好む。かつては、自宅に200インチの5.1chサラウンド映画館(DTS仕様ホームシアター)を作るほどの映画好きであった。(シンカク高橋 フレッシュアイペディアより)